脳をえぐる小説集
夜、銭湯の帰りに寄った、うどん屋のテレビで、陸はそのニュースを見た。
人を殺した、自転車のニュースだ。
テレビ画面には、檻に閉じこめられた自転車の暴れる姿が映っていた。
アナウンサーの語り、自転車が檻にぶつかる金属音、ざわめき、カメラのフラッシュの音。それにまじって、陸はその自転車の声を聞いた。
その瞬間、陸は手に持っていた水入りのコップを落とした。
ガラスの割れる音が店内にひびき、まわりの客がこちらを向く。
大丈夫ですかと言って、店員のおばさんが駆け寄ってきた。
それに何の反応もしめさずに、陸は無言でテレビ画面に見入っていた。
その顔は、青ざめていた。
「お客さん」
店員のおばさんに肩をゆすられて、陸は我にかえった。そこでようやく、割れたコップに気がついた。
「ああ、すみません」
陸はあやまりながら、ガラス破片の片付けを手伝った。そのあと、うどんの料金を払ってすぐに店を出た。外に出る前に、もう一度テレビを見てみたが、ニュース番組は終わっていた。
帰り道、湯上がりのものとは違う種類の汗を肌に感じながら、先ほど聞いた自転車の声を思い出した。
「なんだあの声は?」
つぶやいた声がふるえる。
いままでにまったく聞いたことがなかった種類の物の声。いや、声というよりは、うめきか雄叫びといったほうが近かった。思い出すだけで、心臓の高鳴りが激しくなる。
いままで物の声を聞いて、不快に感じたことは何度かあった。しかし、それはそれでおもしろいと思っていた。だから、今回のようなことは初めてだった。物の声を聞いて、恐怖を覚えるなんて。
あの自転車の声は、いままでに聞いた、他の自転車と同じものだった。しかしその声の中に、どろりとした、黒くて焼けるほど熱い何かがまざっていた。その何かに気付いた途端、激しい恐怖に支配されたのだ。
あの自転車が動きだしたということに関しては、一応驚きはしたが、衝撃は感じなかった。物は声を発しているのだ。動きだすこともあるだろうと納得していた。
そんなことよりも、あの自転車の声に対する恐怖のほうが大きかった。声を聞いただけなのに、どうして舌の根が渇くほど怖いのか。
アパートに帰ると、すぐに布団にはいった。だが、あの声が頭にこびりついていて、なかなか眠れなかった。
深夜二時を過ぎた頃に、寝るのを一旦あきらめて立ち上がった。水でも飲もうかと考えて、流し場に近づいた。