どうしてもママ、子供のまま。
「コーヒーできたよ」
『ありがとう』
キッチンに向かって立っていた佑が、湯気を漂わせたコーヒーカップを二つ手にして持ってきた。
私は、リビングで腰かける。
最近、というか、私が妊娠してから、佑は本当に気を使ってくれるようになった。
佑の携帯の検索履歴を見ると、「お料理 作り方」「子育て」「妊娠 励ます」など、私を思いやった履歴がたくさんあった。
そのなかにあった、「結婚」というキーワード。
私はこの意味を、あとあと知ることになる。
「で、大丈夫か?からだは」
『……うん』
「そっか」
佑は、目の前のコーヒーを飲んだ。
今日は、角砂糖を入れないままのストレート。
『DNA検査の結果は…10日後だってさ…』
「そっか」
佑はそっけなく返事をした。
私は目の前のコーヒーを飲む気にはなれずに、ただ俯くばかり。
ねえ……佑はどうしてそんな平然としていられるの?
私の不安は、次第に怒りに変わる。
『ねえ』
「ん?」
佑が、コーヒーに角砂糖を入れた。
チャポンっ、と音がした。
『私……一人でも子育て頑張るから』
「え?」
ぬけた佑の声が、返事代わりに返ってくる。
『佑はいいよね。もし私のお腹の中にいる子が、自分との子じゃなかったら捨てられるもん。私ごと捨てて逃げられるもん。まだ籍だって入れてないし、いつだって逃げられるよね』
「何言い出すんだよ?」
佑は首をかしげる。
私は止まることなく話した。
佑のやさしさも、気遣いも、検索履歴も…温かいものを全て忘れて。
私は一時的な怒りに任せてなんでもかんでも、って感じだった。
『佑は他人事だろうけど!私は違うの!まいにちまいにち悩んでるの!将来のこととか、いろいろ!辛いの!苦しいの!本当は嫌なの!』
「…」
『そんなの佑には分からないでしょ?』
私は冷たく言い放った。
後で後悔することを知っていて。
「朱美さぁ…」
佑が下を向いたままつぶやいた。
「おれだって悩んでんだよ!全部自分だけとか思うなよ!てかおれ言ったよな!?一人で悩むなって!」
そのとき、佑は顔を上げた。
その顔を見て、私は目を見開いた。
佑は………泣いていたのだ。
それは、私に言い攻めされたからじゃない。
私への怒りで震えて泣いたわけじゃない。
……一人の父として、泣いていた。
「おれ、不器用だから、何もできねえし、お前のきもち分かんねえときもある。けどさ!おれも、頑張るから」
涙をこすって、佑は続いた。
「どうでもいい奴にコーヒー淹れるかよ!どうでもいい奴に病院まで迎えに行くかよ!おまえは俺の全てなんだよ、朱美!」
私を呼ぶ声の語尾が、震えていた。
釣られて私も、自然に泣いてしまう。
「おまえだって不安だろうよ。な?でもおれ、決めてるよ。あの痴漢魔の子だったとしても、おれは一人の父として、おまえの旦那として生きてくよ!ちゃんと、おれ、逃げる気なんてまんざらねえよ…」
いつのまにか佑の目に涙は消えていた。
「おれに当たったっていいよ。例えばもしおまえの腹ん中にいる子が、俺との子じゃなかったとして、一番傷つくのは、おまえだろうから」
『…』
なんで…見抜くの。
私の心をいちいち読まないでよ!
なんて口にしようとしたけど、出来なかった。
溢れる涙が、邪魔するから。
そして……
佑が、私に向かって、手を広げたから。
これはいつもの、おいでの合図。
私は佑の胸にとびこんだ。
その瞬間また溢れる、終わりを知らない涙。
『ゔ、ゔ…ゔぁぁあああんっ』
佑は私の頭を撫でてくれた。
ひとつひとつが、優しくて、嬉しい。
佑…佑…ごめんなさい、あなたを攻めて、ごめんなさい。
あなたに一つも罪はないのに…
『佑…わたし……ごめんなさ…』
ごめんなさい、を言おうとして、私は佑に口を押さえられた。
そして佑は、ニヤリと笑う。
そんな佑を、私は目を見開いて見つめていた。
私と視線を合わせたまま、佑は自分のポケットをゴソゴソ漁った。
そして、左手の薬指に感じる、冷たい温度。
……金属?
左手を見ると、薬指に輝く、銀色の宝石。
憧れの………指輪。
私は佑を見た。
佑は私を見つめて、言った。
「おれは、おまえのごめんなさいが聞きたいんじゃない」
佑……
私はまた涙があふれた。
あなた…あなた…
ほんと、あなたって人は…
どこまでも透き通っていて、いいひと。
私、あなたと出会えてよかった。
好きになれてよかった…
私の頬に落ちる涙を、佑は袖で拭ってくれた。
『ありがとう…』
私は佑の肩に手を回した。
佑…私、幸せです。
「そーそ、おれはそういうのが聞きたい。おまえの笑顔を見たい。それだけだから」
佑はそれだけ言うと、私を抱きしめ返した。
そして、耳元で言った。
「なんか変な形になっちゃったけどさ…婚約プロポーズ。受け取ってね。…そして来年、おれが18になったら…朱美、結婚しよう」
私はクスッと笑った。
そして、肩に回していた手を外して、佑を見る。
佑を見ながら、私は言った。
『本当、変なかたちの告白ね』
それを言うと、佑は照れたように笑った。
「すきだよ、朱美」
『私も…だいすき』
薬指が光る左手で佑の顔を抑えて、私は佑にキスをした。