砂の鎖
「私はな、ずっとこの証明の研究をしていた。自分こそが証明してやると、信じていたんだ。これを生涯の研究にしようと……」


けれど佐伯は、静かにそう言った。


「それが証明されてしまったのが20年前だ」

「……」


その声は聞き取りにくいいつもの嗄れ声で、淡々と話すそこに感情は感じられなかった。


「私には数学者として生きていく力が無いと思い知らされ教職につくことにした」


佐伯にとって、360年間の謎が解けたという歴史的ニュースは、残酷な宣告だったのだろうか。
大きな挫折だったのだろうか。


たった一つの、こんな簡単な数式に彼の人生は変えられたのか……


私はそこに感動すればいいのか、それとも同情すればいいのか、よく分からなくなった。


そして私に進学を進める発言をする佐伯は一体何のためにこんな事を言っているのだろう。

佐伯の話を素直に受け取れば、夢や希望なんて、持たない方がいいと言っている様に聞こえる。
そしてその姿勢は、私の考えによく馴染んだ。


「……先生は、自分の仕事が嫌いですか?」


私は佐伯に小さく聞いた。

けれど佐伯の瞳には悲哀も、後悔も見られなかった。
再び口角をいびつに歪めただけだ。


「日々、分からない問題に向き合う事は学者の喜びだ。教職はその喜びにあふれている」


なるほど、と。

私は理解してもいないのにそう思った。
私には理解できないことに納得をした。そしてただ感心をした。
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