音の生まれる場所
「真由、無理してない?」

心配する夏芽の声に目を閉じる。

「大丈夫…朔のトランペットが聞こえるから…」

深く息を吸う。半ば夢を見ているような錯覚に襲われる。
どこからか聞こえてくる気がするラッパの音色に、これまで何度も助けられてきた…。

(朔は…私にあの曲を聞いて欲しいんだよね…)

ソロを吹くと言っていた、あの人の顔を思い出した。
自信に満ち溢れたあの表情で、一体何を語ってくれるのか。
それが聞きたくて、この場に残った……。

客席のライトが少しずつ暗くなっていく。
ステージが明るく照れ出しされ、そこに集まる楽団員達。それぞれに自分の楽器を手にしている。
誇らし気な顔。その中に、あの人もいた…。
小さな拍手が客席から起こる。それに軽く会釈をして席に着いた。

「あの人、さっき真由に声かけてきた人だよね。人気あるのかな…」
「さぁ…どうだろう…」

夏芽の質問には答えられない。私自身、彼とは今日が初対面だから…。

コンサートマスターが最後に着席する。チューニングが始まり、終わった頃、指揮者が現れた。
大きな拍手に深く一礼する。向き直った先にいる楽団員一人一人に顔を向け、タクトを振りかざした。
坂本さんが立ち上がる。
いよいよ、曲が始まる…。



『展覧会の絵』

それは絵画展の開催を遠くから知らせるラッパの音色から始まる。
そして、それを吹くのが坂本さんの役目…。

し…んと静まり返った大ホール。指揮者のタクトがゆっくりと動き出す。
その揺れに合わせて聞こえてきた音色は、ホール内の隅々まで声を響かせた…。

真っ直ぐと、どこか力強く宣言する音の響き。
トランペットなのに、ラッパみたいな感じがしない。
微妙な音の違いを上手く奏でてる。
ゾクゾクと立ってくる鳥肌。でも、嫌だからじゃない。大きな期待を感じさせてる。
これから聞かせてくれる音で、何を語ってくれるのかを待たされてる。
そんな気分だった…。


組曲の間に流れる坂本さんの音色は、まるで引き語りをするシンガーのように聞こえた。
次々と変わっていく絵を案内する係りのように、周りの楽器を包んでいく。
時には引っ張たり、抱き込んだりしながら、徐々に曲を盛り上げていく。

上手い…と表現するには申し訳ないような繊細で確かなその音色は、いつしか私の心を強く握りしめていた。
一曲目のフィナーレが近づく。
力強い音色が解き放たれ、一斉に音が押し寄せてくる。
その中でも坂本さんの音色は、他のどんなラッパ音よりも大きくて深い。
ハッキリ聞き分けられる程の音の違いに、私はずっと息を呑んでた。

朔が…私に聞かせたいと思ったのは、この音のエネルギーだったのかもしれない。
ブラスを遠ざけてきた私に、もう一度確認して貰いたかったのかもしれない。
命があることの素晴らしさを…明日があることの有り難さを…
原点に返って、知らせたかったのかもしれない…。


(朔……)

涙が溢れてきた。
身体中が震えて止まらない。
奥底から何かが溢れてきて、渇ききった心を満たしていく。

音が全てを、取り戻していこうとしているのが分かったーーー。



「大丈夫…?」

肩に置かれた手の主を見た。夏芽は心配そうな顔で私を覗き込んでいた。

「聞ける?」

問いかけに頷く。無理している訳じゃない。
心から聞きたいと思ってた。
七年分の穴を埋めるように、カラカラに渇いた心を潤すように、音を身体に巻き付けて、しっかりと抱え込んでいたいと思った…。


やっと…息を吹き返したような気がする。
この「生」に満ち溢れた場所で、私はやっと、自分が生きてるんだと実感した……。
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