音の生まれる場所
「ふむ…」

眼鏡の奥の丸い目が真剣に見ている。キーに油を差しながら指が器用に動いていく。

坂本さんの勤める楽器工房の社長、水野正臣(みずの まさおみ)さんは、まるで機械を操る様な繊細さで、私のフルートを点検してくれていた。

「あの…直りそうですか?」

心配になってくる。メガネの隙間から私を見た水野さんは、穏やかな口調で応えた。

「大丈夫、何処も壊れてないよ」

頑固者だと聞いていたからかなり心配してたけど、全然そんな人じゃなかった。


「大事に使ってたんだね、七年も放置していた様には見えないよ」

フルートを出した時、そう言って微笑んだ。
朔と一緒に遅くまで楽器の手入れをしていた甲斐があったと少し嬉しくなった。


「これで多分鳴ると思うけど…」

キーの調整を終えて、水野さんは眼鏡を外した。

「ちょっと吹いてみてごらん」

フルートを返される。

「えっ、…ここで⁉︎ 」

思わず大きな声が出る。側にいた三浦さんと坂本さんがこっちを向いた。

「そうだよ、君が吹かなきゃ音が出るようになったかどうか分からないだろう?」
「そ、そうですけど…」

チラッと二人に目をやる。興味津々な顔をしている彼等の前で、下手な音を出すのは気が引ける。

「私、まだとても人前で吹けませんから…」

七年前ぶりにフルートを引っ張り出したのが十日前。ケースから楽器を取り出して、スケールを吹いたのがつい最近。
そんな私に、何が吹けると言うの…。

「ブランクがあってもスケールくらい吹けるだろう」

当然のような言い方をされる。坂本さんの師匠だけあって強引さは同じみたいだ。

「出せない音もあります…」

楽器の不具合以前の問題。なにせ七年ぶりだから。

「出せる音だけで良いから吹いてごらん。キーの動きも良くなったかどうか知りたいだろう⁈ 」

言い訳する私に少しイラついてきてる?困り顔してみても、水野さんには通じない。
戸惑いながら楽器を構える。震える息で出したのは低いドの音。
低い音を出すには、息がたくさん入ってないとダメ。
当然ながら細い息では、まともに音は出てこない。

「そのまま続けて」

構わず吹かせる。腹式呼吸を忘れている私にとっては、連続で吹き続けるのは難しい。
吸って吹いて、吸って吹いてを繰り返す。

「もう少し息を沢山吸い込んで、せめて三つ続けて吹いてごらん」

吹部の顧問みたいなことを言う。
水野さんの言葉通り、思いきり息を吸い込んで吐き出した。
ギリギリ三つ目の音までは出たけど、息が苦しくなってくると今度は指が動かない。
低い音もだけど、高い音も息が足らず、鳴ってもくれない。

「…吹いてみてどうだ?動きの悪いキーはあったかね⁈ 」
「……なかったです…」

酸素が足らない感じ。軽く息が切れてる。

「だったらそのまま何度か練習してごらん。音が出ないような時は、いつでも持って来ていいから」

優しい言い方。水野さんってすごくいい人だ。

「ありがとうございます。あの…代金は…」
「いらないよ。何処も直してないし、油を差して、錆を落としただけだからね」

これまた当然のような感じ。頑固で仕事を選ぶと言っていた、坂本さんの話は一体何だったの⁈

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