今宵も、月と踊る

……全力で走ること。

それは禁忌だった。

レンタカーに乗って実家に帰る若宮夫妻を見送ると、照明が落とされ真っ暗になったグラウンドにひとりで立った。

風に吹かれて土煙が舞う。初夏の熱い空気が今夜は熱帯夜だということを知らせる。

私は髪を結わいていたゴムを解くと、もう一度ポニーテールに結び直した。

若宮さんからもらったお墨付きがスタートラインへ足を運ばせる勇気をくれた。

空には照明の代わりをするように満点の星空が輝いている。

観客も声援もない。あの頃とは180度状況が違う中で、スタートの体勢をとる。

全力で走れたからといって、何かが変わるわけでもない。

時を戻すことはできないし、コーチという仕事にやりがいを感じてもいる。

それでも、確かめずにいられなかった。

……スタートの合図は自分で決めた。

「っ……!!」

お世辞に早いとは言えないスタートを切って、一目散にゴールへと走る。

昔と同じように足を前後に出そうとしても、身体がついていけていないことは百も承知だった。腕と太ももが直ぐに悲鳴を上げた。

でも、足だけは疲れを知らないように軽かった。

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