恋宿~イケメン支配人に恋して~
自分からやりたいと言えたことなんて、人生のなかで数える程度。それだけに、自分のなかのなにかが確実に変わっているのを感じた。
ちょっと届くか微妙かも……あとちょっと。
不安定な脚立の上、頑張って手を伸ばし上のほうの汚れを拭こうとした、その時。
「おい、バカ女。はりきりすぎだ」
その声とともに、脚立はガタガタガタと小刻みに揺らされた。
「ぎゃっ、ぎゃー!!」
咄嗟に脚立のてっぺんに座りしがみつく私に、揺らした犯人である千冬さんは手を止め、相変わらず冷めた目で足元からこちらを見上げた。
「な、なにするんですか!」
「そんな無理してやらなくていい。上のほうは俺がやるから降りろ」
「……別に無理してませんけど」
「いいから」と手で私を払う彼に、私は渋々脚立を一段一段降り地面へと立つ。
「雑巾貸せ」
「はいどーぞ」
目の前に立ち雑巾を受け取る千冬さんは、代わりにとでもいうようにスーツのジャケットを脱ぎ私へ渡した。
その時、ふわ、と漂う煙草の匂い。
「……千冬さん、煙草吸って来ました?」
「ん?あぁ、なんで分かった?」
「匂い、消えてませんよ。バレバレです」
ぼそ、と指摘したことに、図星だったのだろう。その顔は『やべ』と言いたげに苦いものとなる。