恋宿~イケメン支配人に恋して~
9.涙の温度
「聞いたわよ、理子ちゃん!深夜の倉庫で千冬くんとイチャイチャしてたんですって!?」
「……はい?」
仲居の中でも一番の情報通というおばさん、箕輪さんにそう突然聞かれたのは、旅行20日目の夕方。
宴会準備まで少し時間があるからと休憩室で休んでいた最中に言われたことに、私はお茶の入った湯呑みを手に苦い顔で眉間にシワを寄せる。
「な、なんですかそれ……」
「もうすっかり館内じゅうの噂よ~?ねぇ」
「うんうん、厨房の子から警備員のおじさんまで知ってるくらい」
「ってそこまで!?」
それは恐らく、先日の倉庫での一件。転びかけた私が千冬さんを下敷きにしていまい……倒れた後の場面だけを見たおばさんはやはり誤解したらしく、2日後の今日にはすでに皆に話が回ったらしい。
うふふと笑うおばさんたちの隣で、きっと誤解だと分かっているのだろう八木さんは苦笑いをした。
「あれはただ私が転んだだけで……」
「またまたぁ、そんな少女マンガみたいなことがあるわけないじゃないの!」
「……」
いや、あったんだってば……。
ダメだ、こうなったらもう何をどう言っても聞き入れてくれないだろう。諦め、熱いお茶を一口飲んだ。
「けど千冬くんも男ねぇ。すっかり女っけないから、てっきり一生独身でいる気なのかと思ってたけど」
「そうなんですか?」
「えぇ。普通にしていればモテるんだろうけど……毎日ここにいるだけじゃ、そりゃあ出会いもないものねぇ」
『女っけがない』、その千冬さんの話に意外だと感じながら湯呑みをテーブルに置く。
普通にしていれば、見た目はいいし中身も……まぁ怖いけど、優しいところもある。確かにモテそう。
だけど言われてみれば、毎日ここで仕事仕事で働く彼に出会いがあるわけもない。そういえば私が来てからも、休んでいる日なんて2日あるかないかくらいだ。
……30歳の独身が、遊ぶ暇もなく仕事ばかり。それもそれで、なんというか。
けど彼女がいる様子もないんだ……。って私、またホッとしている?なんで?