恋宿~イケメン支配人に恋して~



「……」



ひとり残されたその場で、渡された書類を手に考える。



いつもの会社、ここではパソコンに向かって働くという慣れた仕事がある。

けどあそこと同じように、自分にできることをひとつずつ丁寧にこなしていけば、やりがいと出会えるかもしれない。



楽しいと思えるかもしれない。

苦手だった先輩も実はいい人かもしれない。



視野を広げれば、決して悪くない恵まれた環境。

これが私のいた“日常”。



だけど、こころにぽっかりと穴があいている気がする。



「あ、吉村さん。休み前に出して行った休暇届け、一箇所ハンコ押し忘れてます」

「え?あ、すみません」



すると、続いて声をかけてきたのは総務課の女性社員。

彼女が手にしている紙には『休暇届』の文字と、くせのある自分の字で書かれた名前。そこには確かに、印鑑が押していない。



「印鑑、印鑑……あれ、どこだろ」



手元を探すもののいつも入れているペンケースには入っておらず、続いてバッグの中を探す。

普段はもちろん、旅行の間もずっと使っていた黒いトートバッグ。つい何でも入れてしまうから、あるとしたらこのバッグの奥底……。



隣に女性社員を待たせていることもあり、焦ってがさがさと中を探る。すると、指先に当たった小さく固い感触。



ん?これかな。

そうそれをつまんで取り出すと、それは探していた印鑑……ではなく、小さなこけしのストラップ。


< 203 / 340 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop