恋宿~イケメン支配人に恋して~
これは、確か……。
あの日、千冬さんと街を歩いた時に、射的で撃ち落とした景品だ。
そういえば、バッグに勝手にいれられてそのままだった。すっかり忘れていたのもそのはず、こんなに奥に入り込んでいたらしい。
ったく、あの人は……。
手のひらにころんとのせた和やかな笑顔のこけしを見ていると、不意に思い出すのは彼の笑顔。
触れたときのドキドキや、空を見上げる横顔。歩きながらつないだ、大きな手。
ひとつひとつ思い出すだけで込み上げる、過ごした時間の愛おしさ。
「……、……」
その瞬間、ポロッとこぼれだしたのは一粒の涙。
ぽっかりとあいた穴の正体に、気付いてしまった。それは、彼の存在。
1ヶ月という時間をかけて、いつの間にかしっかりと刻まれた、千冬さんという大きな存在。
その気持ちだけは、なくせない。誤魔化しも隠しも、忘れることも出来ない。
「えっ……吉村さん!?どうしたんですか!?」
「……すみません、ちょっと、」
言葉とともにどんどんとこぼれてくる涙を、こけしのストラップを握りしめた手で拭う。
そんな私に、女性社員はどうしていいか分からなかったのだろう、戸惑いながら「後で持ってきてくださいね」と書類を置いて行く。
その場にひとりになってもまだ、涙は止まらないまま。
いつだって、真っ直ぐな彼は『後悔しない道を選べ』と言ってくれた。
相手の気持ちなんて関係ない。自分の、私自身の素直な気持ち。
後悔しない道がどれなのか、こぼれる涙が教えてくれる。
休暇届けもそのままに、私はフロアの端にある棚から書類を一枚取り出すと、ボールペンでカリカリと名前を書いた。