恋宿~イケメン支配人に恋して~
「それが積もりに積もって、限界になって、好きだったからこそ『帰りたい』って言った。『東京で前みたいに暮らしたい。ちぃちゃんと笑いたい』って……ちぃちゃんが頷くわけないこと、分かっていたのに」
一度決めたことを、曲げる人じゃない。『そうだな』なんて頷く人じゃない。
明日香さんは、それを分かっていた。分かっていて、言った。
彼は引き止めない、それなら逃げられるから。
「そこで、女将をやめてでもここに残るって選択はなかったんですか?」
「……うん。ちぃちゃんの力になれないならここにいる意味もないと思ってたし、その時はとにかくラクになりたかったから」
静かな部屋にひびく声。小さく笑う彼女は、手元の湯呑みを強く握る。
その時の選択を、後悔しているのだろうか。それとも、それを選んだから今こうして戻ってこられた?
笑顔の消えないその顔から、心は読めない。
「けど戻っても、ちぃちゃんのことは忘れられなくて。誰といてもちぃちゃんのことを思い出すの。そのうち気付いた。きっとこれは未練だけじゃなくて、もっと自分はやれたんじゃないかっていう後悔でもあること」
「後、悔……」
「もう一度、頑張りたい。ちぃちゃんのために、もっと。本当に好きだから」
言葉とともに、向けられた姿勢。真っ直ぐに強いその瞳に、押し負けそうになる。
「……本当に、好きなんですね。千冬さんのこと」
「うんっ!ちぃちゃんってね、冷たそうに見えるけど意外と面倒見よくてやさしくてねっ」
……うん、知ってる。千冬さんが、優しいこと。
「照れ屋さんなところもあって、たまにヤキモチ妬いたりもするところもまた可愛くて!」
それも、知ってる。
だって今の恋人は私だから。私だって、千冬さんのいろんな顔見てきたから。
「好き好きってくっつくと普段はいやがるんだけどね、たまに『俺も好き』って照れて笑ったりして」
……え……?
「……千冬さんに、好きって言われたことあるんですか?」
「うん、もちろん!たまにだけどね、ちゃんと気持ち教えてくれたよ」
明日香さんは、嬉しそうに、恥ずかしそうに笑う。
その表情に、自分の心の支えにしていたものが崩れだした気がした。