恋宿~イケメン支配人に恋して~
やってきたのは、別館の4階にある小さなテラス。
いつも使う応接室ほど堅苦しくなく、開放的でいてひと気もない。ゆっくり話をするのにはちょうどいい場所だと思う。
「わー……月きれい」
ガラス戸を開け外に出れば、頭上には大きな満月が眩しく輝く夏の夜空。
ふわりと吹いた涼しい風が、昼間の熱さを冷ますように肌をなでる。
テラスの茶色い柵に寄りかかる明日香の隣で、見上げた月から彼女へ視線を落とした。
「ちぃちゃん、まだあの部屋仮眠室にしてるの?」
「あぁ。アパート帰るの、面倒だからな」
「そっかぁ。ね、久しぶりにちぃちゃんの部屋行きたい!話ならそこでもゆっくり……」
俺の部屋に、そう言いだす明日香に、俺は小さく首を横に振る。
「……部屋には、彼女しか入れない」
しっかりと引いた線。それが見えたかのように、俯く顔。
「……私、あれから頑張ったよ。お茶もお花も習ったし、他の旅館でバイトもして……その旅館で『息子と結婚して跡を継がないか』って話貰えたくらい」
「……だろうな。働きを見れば分かるし、お前ならそういう話を貰ってもおかしくない」
「でしょ?だけど断っちゃった。……だって、全部ちぃちゃんのためにやってきたことなんだもん」
地面にぽた、とひとつこぼれ落ちる雫。
俯いた顔を上げこちらを見るその瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれる。
「ちぃちゃんに新しい彼女がいるかもって、そんな予想くらいしてたよ!だけど、それでも諦められないんだもんっ……好きなんだもん!!もう逃げないからっ……そばに居させて!ちぃちゃんと一緒にいさせて!!」
痛いくらいの、悲鳴にも似た願う声。
……つくづく最低な奴だな、俺は。さっきは理子を泣かせて、今度はこうして明日香を泣かせている。
どれほど努力したのだろう、どれほどここを去った自分のことを責めたのだろう。
泣き顔に、こみ上げるのは罪悪感。だけど、今ここで優しくするのは違うだろ。
気持ちを、言うんだ。
明日香への思い。理子への、想いを。