恋宿~イケメン支配人に恋して~
「……あの時私が逃げ出さなかったら、今理子ちゃんが居る場所には、私が居たかな」
もしもあの時、乗り越えられたら。ここに残る道を選んだら。今でもふたりは笑っていたかもしれない。
そんな『もしも』『かもしれない』の世界。
けれど、宗馬くんはくだらないとでもいうように鼻で笑う。
「さぁね。案外普通に喧嘩して別れてたかもしれないし、順調にいってたところで千冬があの子と浮気してたかもしれないし」
「えっ!」
ひどい!
可能性すらむしり取るような言葉に、そんな言い方しなくてもと口を尖らせるものの、やっぱりその目は前を向いたまま。
「さっきも同じことを言ってきたけどさ。過去は過去。大事なのは今」
「そうだけどさ……」
「過去を糧にするか、荷物にするかはあんた次第」
「……」
糧にするか、荷物にするか……。
ちぃちゃんと過ごした日々。ふたりでいた時間は毎日楽しくて、つらい時間さえも大切な思い出。
それらを、ただ後悔するだけの荷物にするなんて、いやだ。
「うん……そうだね」
俯けば、ひとつぽたりとこぼれた涙。
ねぇ、本当はね、ちぃちゃんの胸にすがりついて泣きつきたかったよ。
私を選んで、私を見て、頑張るから、まだ諦めたくないよ。
そう泣き叫んで、納得なんてしたくなかった。
だけどやっぱり、最後にその記憶の中に残る顔は笑顔がいいから。
ちぃちゃんが私を思い出す度、悲しい気持ちじゃなくて『そんな日もあったな』って、笑ってくれたら、いいな。
「……はい、到着」
「ありがとー……ってあれ?ここ、」
停まった車に辺りを見渡せば、そこは駅前ではなく、家やお店がずらりと並んだ見覚えのある細い道。そう、宗馬くんの家の前だ。
「どうして?駅までって……」
「今行ってもどうせ始発まで時間潰さなきゃいけないでしょ。奈緒も久しぶりにあんたに会いたいだろうし、ついでにうちで時間潰せばいい」
「宗馬くん……」
それはきっと、朝までひとりで過ごす予定でいた私への彼なりの気遣い。
あぁもう、やっぱり優しいなぁ。
甘えてばかりじゃいけない。だけど、最後に。きっともう、この街にくることはないから。
「うんっ、お邪魔しますっ……」
この街のぬくもりを、心にしみこませていこう。
end.