恋宿~イケメン支配人に恋して~
一晩中笑って、あいつは予定通り始発の電車で帰って行った。
『じゃあね、宗馬くん。ありがとう』
『……どーいたしまして』
『ちぃちゃんにもよろしく、ばいばい』
『また』の言葉はなかった。そのことからきっと、もうここには来ないのだろう。
そりゃあそうだ。千冬の場所にも居場所はない。ここにいる意味も、来る意味もない。
『また』の約束をする意味なんて、ない。
「笑って帰ったよ。大丈夫」
「……そうか」
少しは気にしていたのだろう。千冬は小さく頷くと、少し安心したように息を吐いた。
「……あと、一応聞いておくけど」
「んー?」
「理子のこと、本気じゃないだろうな……!?」
よほどあの日の俺の言動が衝撃的だったのか。真面目な顔で問いかける千冬が、おかしくて余計笑えてしまう。
「なわけないでしょ。俺を千冬みたいな物好きと一緒にしないでくれる?」
俺が、あの子を?
色気も可愛げもない。すぐ口答えするし、ふてぶてしい。抱きしめたのだって、後ろから千冬の靴の音が聞こえてきたからだ。……けど。
「……けどまぁ、千冬があの子を気にいる理由は分かったかも」
「へ?」
「可愛い所もあるよね。特に、泣き顔とか」
「なっ……!?」
ふん、といたずらっぽく笑ってみせた俺に、千冬は驚きと焦りに顔色を変える。
ところが、『それはどういう意味だ』と問いただそうとした千冬の声を遮るように、その胸ポケットからはヴーッと携帯のバイブ音が響いた。
「ほら、電話鳴ってるよ?呼び出しじゃないの?」
「っ〜……わかってるよ!はいもしもし!あ!?トラブル!?わかった今行く!!」
やはり旅館からの呼び出しだったらしい。千冬は悔しそうに、携帯を切ると玄関へと戻り靴を履く。
「あ。あと俺、そのうちこのアパート出るから」
「え?引越し?」
「引越しっつーか……実家に、住もうと思っててな。理子と、ふたりで」
そんな中、呟かれた一言にさすがにちょっと驚いた。
旅館の敷地内の隅にある、立派な一軒家。それは沢山の声が溢れていたはずなのに、いつからか物音ひとつしなくなった家。
「へぇ、良かったじゃない。あの家、そのままじゃ寂しすぎるもんね」
「あぁ。……理子に言われたからな。『まだふたりだけど、ここから始めよう』って」
そこに差した光は、やっぱり彼女の光だったんだ。
「いつまでも理子に住み込みさせてるわけにもいかないしな。まぁ、まずは家の片付けや掃除しなきゃならないから当分先にはなるけど」
「ふーん。じゃあそしたら俺このままここに住もうかなー。いい加減実家も出たいし」
職場でもある家から少し距離が出来るのは面倒だけど……まぁ、連日入り浸っているこの部屋の居心地もいいし。
そうへらっと笑ってペットボトルの水を一口飲んだ俺に、千冬は「じゃあ今度大家さんに話しておく」とだけ言って部屋を出ようとドアを開ける。