恋宿~イケメン支配人に恋して~
「……お先に失礼しまーす……」
仕事を終えた夕方。どんよりとした顔で旅館の裏口のドアを開けると、空には秋の訪れを告げる赤い夕焼けが広がっている。
はぁ……家に帰りたくない。
もうとっくに帰宅しているだろう絢斗の顔を思い浮かべると、自然と足は重くなってしまう。
街のほうに寄り道して帰ろうかなぁ……でも家を避ければ避けるほど、余計帰るの嫌になっちゃうよね。
あぁ、でも帰りたくない、でも……。
うーん、と頭を悩ませながら、車に向かうべく裏口を出た。
「……おかえり」
「へ?えっ!?」
突然かけられた声に振り向くと、ドアのすぐ隣には一人立つ姿。そう、まさかの絢斗の姿に、驚きつい声をあげてしまう。
「な、なんで絢斗がここに!?もう帰ったんじゃ……!?」
「待ってた」
待って、いた?あの絢斗が?普段ならそそくさと帰って家でゲームしているか寝ているような絢斗が?私を待っていた?
そんな、まさか、なんで……。
「な……何事……!?」
「……そこまで驚かなくても」
先程までのモヤモヤとした気持ちまで吹っ飛んでしまう。それくらい珍しくて、驚いてしまうようなことだ。
「でも……なんで?」
「結菜のことだから、今朝のことで今日は帰りたくなくなってると思って」
「うっ」
ば、バレてる。
私のことなどお見通しなのだろう。絢斗は目を細めて笑う。幼い頃から顔立ちは変われど、唯一変わらないその笑顔がやっぱり今でも愛しい。
「結菜は、いつもせっかちだよね」
「へ?」
「いつも人の手引っ張って歩いて、あれもこれもテキパキこなして。俺のペースなんて考えてやくれない」
な、なにをいきなり……?
笑いながら言っているあたり愚痴とかではないのだろうけれど、突然のその言葉に意味が分からず首をかしげた。
「今まではそれでもいいと思ってた。けどこれだけは、引っ張られてちゃいけないことだと思うんだよね」
「え……?」
『これだけは』……?
まだきょとんとしたままの私に、絢斗は細い指で私の腕を引っ張ると、ぎゅっと私を抱きしめた。
骨っぽい、ごつごつとした体。香るのは同じ柔軟剤の甘い匂い。
「結菜との結婚を『まだ』って言ったのは、別に結菜がどうとかそういう意味じゃないから」
「じゃあ……?」
「……自分の、一応あるプライド」
プライド……なんて、あるんだ。本人もそう思われると分かっていたのだろう。『一応』と自ら付け足した。
けどプライドって……どんな?
抱きしめられたまま胸の中から顔を上げると、絢斗は少し恥ずかしそうに私の目を真っ直ぐに見る。