恋宿~イケメン支配人に恋して~



「けど必死こいて就職したにも関わらず、仕事はつまらなかったな。向こうでは寝具メーカーの営業やってたんだけどさ、営業成績も普通だし自分自身に特別目標があるわけでもない。働くうちに自分は代わりのいる社員のうちのひとりでしかないって知った」



それは、確かに私が抱くものと同じ気持ち。『自分がいなくても』、そう思い日に日に沈んでいく心。

今こんなにも揺らぎのないように見える彼が、そんな気持ちを抱いていたことが、とても意外。



「つまらない、やめようか、けど次の仕事でもまた同じことを思うんじゃないかとか、そんなこと考えながらとりあえず毎日働いて、25歳になった春。親が、事故で死んだ」

「え……」

「たまにの休日にふたりで車に乗って出かけた帰りに、居眠り運転のトラックと正面衝突して。ふたりとも、即死だった」



感情の見えない静かな声。瞳は穏やかに光をさして。



「店主の親父と女将の母親、ふたりの軸を失えば当然旅館経営なんて出来ない。だから、俺はここを閉めることにした」

「えっ、でも今はやってますよね。どうして……」

「どうしてかと聞かれれば……泣かれたから、か」



泣かれたから……?



「『閉館する』って話をした時に、従業員が全員『店主も旅館もなくなるなんて』って、泣いてて。その時は『仕方ないだろ』って思ったんだけどさ、遺品整理とかしてるうちに母親がつけてた日記を見つけたんだよ」

「日記……」

「そこには今日はどんな客が来たとか、どんなことがあったとか、嬉しいこと嫌なこと全部書いてあって。どれほどの思いでふたりがここを継いで、毎日を過ごしていたかが痛いほどわかった」



亡くなった女将さん……千冬さんのお母さんがつけていた、日記。

どんな思いで毎日をつづったのだろう。記録しておくため、自分が振り返るため、いつかそれを見た人にその思いを知ってもらうため。

そこに溢れ出す思いに、きっと彼は共鳴して。




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