恋宿~イケメン支配人に恋して~
「両親に祖父母、これまで働いた沢山の人の苦労や努力を知って、『今ここで辞めていいのか?』って、思ったんだ。そこで、もう一度従業員を全員集めて頭下げた。『1年待ってほしい』って」
「1年……?」
「今やり直すって言って素人がいきなり旅館経営なんて出来るわけないからな。最低でも1年、他の旅館で経験を積んで勉強する必要があると思った」
1年。なにも知らない状態の人が、全てを自分に叩き込むのには短すぎる時間。
けれどそれでも、今彼がここにいるということはやってみせたのだろう。必死に、努力をして。
「……それで、待ってくれたんですか?」
「当然待てない人もいたけど、当時の従業員の半分は残ってくれたな。おかげで営業再開してからも大分助けられたし、なんとかやってこれたよ。あ、ちなみにお前が壊した花瓶が、その新装開店の時に金持ちの常連客から貰った記念品な」
「うっ」
そう聞くとすごいものを壊してしまった気が……!
チク、と刺すような言い方をする千冬さんに誤魔化すようにまたコーヒーを飲んだ。
「……けど、結局は敷かれたレールを歩いたわけじゃないですか。それに対して後悔はなかったんですか?」
「ん?あぁ、まぁな。結局、って気持ちもあるしここを継いだことで当然失ったものもある。けど、得たものも多い」
「得たもの……」
「ここには、ひとりひとりの思いやりの気持ちがある。自分では出来なくて誰かでは出来ることもあるけど、誰かでは出来なくて自分では出来ることもある」
自分に出来なくて、誰かが出来ることと同じように、自分にしか出来ないことが、ある。
それは思いやりの気持ちのなかに。
「自分が求めてた『やりがい』ってものは、自分が逃げ出した場所にあったんだろうな」
近すぎて見えなかったもの。それはここに、あったんだ。