婚約者は突然に~政略結婚までにしたい5つのこと~
葛城は部屋の片隅に置いてあるグランドピアノに掛けられたカバーをスルリと取り外し、漆黒の蓋を開く。

中から象牙色の鍵盤が現れた。

椅子に座り、指を組んで何度か伸ばしたり回したりする。

少し顎に手を置き思案した後にそっと鍵盤に手を置いた。

葛城はゆったりと静かなテンポで弾き始める。

私が解るほど有名な曲、ベートーベンの月光だった。

葛城は月光を音にしたような、静かで青白く実に神秘的な色音を奏でる。

いつも強引で底意地が悪い彼の繊細な一面を目の当たりにして思わず息を飲む。

ふと、月明かりに照らされて、ひっそりと愛を囁いていた姿が脳裏に浮かんだ。

私は自分ばかりが被害者で不幸だと思っていた。

だけど、この結婚で一番辛い思いをしているのはもしかして、この人なのかもしれない。

そんな素振りを私に、いや、誰にも見せた事はないけど。

月夜のように静かで美しい旋律が、絵梨を想う葛城の気持ちに重なるようで胸が締めつけられる。

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