アオとミドリ
1
「青」と「緑」の二色で、普通の人は何をイメージするだろうか。空と、大地を覆う森の色……?
スポーツに精通している人なら「ヨネックス」のイメージカラーだとピンとくる人もいるはず。
青春の色、そのもの。
……などと、今の和樹に思う余裕などない。
体育館の天井すれすれに白いシャトルが飛び交う。
バドミントン部がハイクリア(コートの最後尾から相手コートの最後尾までの)打ち合いをしているところだ。練習だからナイロン製のやつ。
スイートスポットにシャトルが当たる心地よい音がリズミカルに続く。
和樹はというと、コートの外周を走らされている。
「アオ! 見てないと思ってチンタラ走ってんじゃねえぞ!」
コーチの怒声に、瞬間だけはダッシュしてみせる。
ハイクリアで打ち負かされると、容赦なく『十周ダッシュ』をさせられる、これが橋本コーチルール。
次なる落伍者が和樹の後ろから走ってくる。
「俺ら、2年でまだこんなんかよ!」
とぼやくチームメイト。
コーチに睨まれ、舌打ちする。
それでも和樹を追い抜いていく。
……和樹は、ペースを落とす。
コーチの怒声は、耳から心に届くころにはもう、意味のない騒音と化す。
体育館の出入り口が開いていたから、吸い寄せられた、……聞かれたらそう答えよう。
そう思いながら、和樹は体育館から出て行った。
制服を泥だらけにして、ほころびまでこさえて家に戻ってくる和樹に、母聡子が小言。
「ここで汚れてるもん、全部脱いでから入ってね」
聡子が強引に和樹のカバンを肩から外す。
「イテーよ、ッバーカ」
今までのノリが、つい家でも出てしまう。
「バカとはなんだ!」
ダイニングにいた父に聞かれてしまった。
舌打ちする、心の中で。
元バドミントン部の先輩森田は、3年になってすぐ退部した。
もともと幼馴染の森田がいるからバド部に入った和樹だから、その森田が辞めたのなら和樹が退部するのは時間の問題だった。
問題なのは、今、森田はかなりヤバい存在だということ。
和樹は森田の新たなる「部活動」につき合わされているということ。
この日は、七中のヤンキーとの「試合」だった。
和樹の心は萎えていた。
今、自分の目の前にいる奴らはもはや初対面ではない。
むしろ、新学期になってから一度も口を利いたことのないクラスメートより、ずっと奴らのクセを知り尽くしている。親しみすら湧くくらいだ。
「なーっ」と微笑んでみせる和樹。
「なんだおめぇ」と一撃で応える敵(あいて)。
和樹も頭突きで応答する。
これで、終わりにすんだよ。だから、早くクタバレ!
ケンカが原因の怪我で学校を休むなんでありえない。
と、無理して行ったのが間違いだった。
捻挫した片足が、中からエイリアンでも誕生しそうなほど腫れたときには、さすがの母も貧血を起こしかけた。
それから和樹はずるずると学校を休み出し、一ヶ月経ってしまった。
体育館の天井すれすれに白いシャトルが飛び交う。
ハイクリアの打ち合いをしているところだ。社会人だから、練習でも水鳥の本格的なやつ。
聡子に強引に連れ出された。
主婦らしいのは、ウチの母(おや)と、タプタプした中年のおばさんとガリガリのばあさん。
ガリガリもタプタプも意外と動ける。
若い女が三人いる。こっちはドヘタだ。
あとは大学生と中年のやろうが十人くらい。
ガキは俺だけじゃん。
と、思ったら、ポニーテールの小柄な女が一人遅れて入ってきた。体つきが中学生っぽい。
……見たこと、ある。
あとから入ってきた毛深い中年男と簡単にストレッチをして、二人でコートに入った。
ハイクリアの打ち合い。
中年男が力でコート一杯に打ち込む。
が、そいつは、しなやかな全身を使って打ち返す。小柄なくせに力負けしていない。
中年男が左右に揺さぶり始める。
「あいつ」はコートの右に左に、最低の歩数で動き、瞬時に戻る。
シャトルは必ず真ん中に、仁王立ちの男のポジションに返す。
練習試合。
ビシビシ、スマッシュが決まる「あいつ」。なのに無表情。
失敗しても、無表情だ。
和樹、想定外の見えないシャトルに……、心がぶち抜かれる。
結局、この日、練習が終ると、「あいつ」と中年男はさっさと帰っていき、一度も話しかけるスキがなかった。
帰りの車の中、聡子が、
「気にしてたでしょ? 塚田碧ちゃんのこと。うちの学校よ、知ってるでしょ」
……知らなかった。
「塚田さんのね」
聞いてないのに勝手に話す聡子。でも耳に全神経が集中する、俺って……。
「お父さんの方だけどね。駅前のほら、喫茶店『ばおばぶ』のマスター。あそこのパンプキンプリンがおいしいの」
……それは、どうでもいいから。
塚田碧。なぜか心にこびりついた名前。
名前とともに、無駄のない脚の筋肉と、無駄のない動きを思い出す。
無駄のない表情も……。
……うちの学校か。
不純な動機で、和樹の不登校は40日でピリオドを打った。
クラス中が、復帰した和樹に、無関心だった。
ある程度、予想はしていた。
真面目なやつは、和樹の方から避けていた。だから奴らが無視するのも当然だ。
が、不良からも見放された。
そのどちらにも属さないクラスメートが、必要なときだけ話しかけてきた。
このクラスにもハブの対象はいる。
積極的にいじめないものの、無視くらいはする。
和樹も、自分がそっちの側に回ったことを、感じた。
そのうち、必要なときにさえ話しかけられなくなる、ということだ。
「あいつ」が隣のクラスだとは知らなかった。
ポニーテールではなかった。短パンでもなかった。(当然だ)
教室移動のとき、生徒が和樹にぶつかってきた。その拍子に教科書を落とした。
絶対わざとだ。
そう思うと授業に出る気がうせた。超スローで歩き出す。
意識的に三組の、開いているドアの前でさらに歩く速度を落とした。もはや月面を歩くパントマイムである。
教師は板書していた。ざわついた雰囲気はどこも同じだ。
碧は窓際にいた。机に頬杖をつき、外を見ていた。
体育館で、カモシカのように逞しく見えた「あいつ」とは、違う雰囲気。
淋しげだ。
碧の後ろの席の女子が、クシャクシャにした紙を投げつけた。碧の頭に当たった。
紙の落ちた方に首をかしげる碧。
碧の前に座っていた女子が、素早くその紙を拾い上げる。
二人の女子が、まるで碧がそこに存在していないかのように、話しだす。
挟まれた碧は、また外を見る。
和樹は目をそらし、あわててその場から立ち去った。
顔は見えなかったが表情は分かった。
それは見てはいけないんだ。
木曜日の夜が「ダック立川」の練習日。
その日、聡子は町内会のほうを選んだ。
和樹は自転車で体育館へ向かった。
通い出して一ヶ月経った。
大学生のお兄さんたちと話すほうが、碧と話すより自然なのだ、だれが見たって。
だから大抵は大学生に混じってウォーミングアップをし、一通りのショット練習をする。
アドバイスをもらったり、練習試合に参加させてもらったり、結構充実はしていた。
和樹の心とは裏腹に……。
碧と許される唯一のコミュニケーションは練習のラリーだけ。
幸い中学生は和樹と碧しかいないから、練習に参加すれば必ず一度はラリーができる。
ところが、だ……。
和樹がコートに入り、碧が相手コートに入ると途端に、相手コートが300m先に見える。
しかも間に陽炎がたつ。
頭からは湯気が立つ。
湯気以外にも、もろもろ立ちそうだ。
スマッシュの練習。
碧の球が和樹の××を直撃する。……死ぬかと思った。
こうなれば、喫茶店『ばおばぶ』に行くしかない。
クラスが違う藤井は誘いやすかった。佐々木もついてきた。
中学生だし、コーラがベストチョイスと察する。
すると藤井が、男の食べ物の差別に異議を唱える。
でもさぁ、男だしプリンはちょっと、で論争していると……。
店のドアが開く。山小屋の鈴の音。
碧が学校から帰ってきたようだ。
和樹の心臓の鼓動が耳から外に漏れそうになる。
その心臓が凍りつく!
「店から入ってくんなっつってんだろっ!」とマスター兼塚田父が怒鳴る。
「裏、入れねえんだよっ!」と女子の怒鳴り返す声。
えっ、碧?
目をむく和樹。
その存在に気づいた碧が和樹らを一瞥して舌打ちする。
すると、これもまた舌打ちしながら奥に引っ込む塚田父。
「車のキー! 出せっ速くっ!」と怒鳴る父の声に、碧が、レジ下からとったキーをオーバーハンドで投げつける。
これが、素顔、なのか……。
スポーツに精通している人なら「ヨネックス」のイメージカラーだとピンとくる人もいるはず。
青春の色、そのもの。
……などと、今の和樹に思う余裕などない。
体育館の天井すれすれに白いシャトルが飛び交う。
バドミントン部がハイクリア(コートの最後尾から相手コートの最後尾までの)打ち合いをしているところだ。練習だからナイロン製のやつ。
スイートスポットにシャトルが当たる心地よい音がリズミカルに続く。
和樹はというと、コートの外周を走らされている。
「アオ! 見てないと思ってチンタラ走ってんじゃねえぞ!」
コーチの怒声に、瞬間だけはダッシュしてみせる。
ハイクリアで打ち負かされると、容赦なく『十周ダッシュ』をさせられる、これが橋本コーチルール。
次なる落伍者が和樹の後ろから走ってくる。
「俺ら、2年でまだこんなんかよ!」
とぼやくチームメイト。
コーチに睨まれ、舌打ちする。
それでも和樹を追い抜いていく。
……和樹は、ペースを落とす。
コーチの怒声は、耳から心に届くころにはもう、意味のない騒音と化す。
体育館の出入り口が開いていたから、吸い寄せられた、……聞かれたらそう答えよう。
そう思いながら、和樹は体育館から出て行った。
制服を泥だらけにして、ほころびまでこさえて家に戻ってくる和樹に、母聡子が小言。
「ここで汚れてるもん、全部脱いでから入ってね」
聡子が強引に和樹のカバンを肩から外す。
「イテーよ、ッバーカ」
今までのノリが、つい家でも出てしまう。
「バカとはなんだ!」
ダイニングにいた父に聞かれてしまった。
舌打ちする、心の中で。
元バドミントン部の先輩森田は、3年になってすぐ退部した。
もともと幼馴染の森田がいるからバド部に入った和樹だから、その森田が辞めたのなら和樹が退部するのは時間の問題だった。
問題なのは、今、森田はかなりヤバい存在だということ。
和樹は森田の新たなる「部活動」につき合わされているということ。
この日は、七中のヤンキーとの「試合」だった。
和樹の心は萎えていた。
今、自分の目の前にいる奴らはもはや初対面ではない。
むしろ、新学期になってから一度も口を利いたことのないクラスメートより、ずっと奴らのクセを知り尽くしている。親しみすら湧くくらいだ。
「なーっ」と微笑んでみせる和樹。
「なんだおめぇ」と一撃で応える敵(あいて)。
和樹も頭突きで応答する。
これで、終わりにすんだよ。だから、早くクタバレ!
ケンカが原因の怪我で学校を休むなんでありえない。
と、無理して行ったのが間違いだった。
捻挫した片足が、中からエイリアンでも誕生しそうなほど腫れたときには、さすがの母も貧血を起こしかけた。
それから和樹はずるずると学校を休み出し、一ヶ月経ってしまった。
体育館の天井すれすれに白いシャトルが飛び交う。
ハイクリアの打ち合いをしているところだ。社会人だから、練習でも水鳥の本格的なやつ。
聡子に強引に連れ出された。
主婦らしいのは、ウチの母(おや)と、タプタプした中年のおばさんとガリガリのばあさん。
ガリガリもタプタプも意外と動ける。
若い女が三人いる。こっちはドヘタだ。
あとは大学生と中年のやろうが十人くらい。
ガキは俺だけじゃん。
と、思ったら、ポニーテールの小柄な女が一人遅れて入ってきた。体つきが中学生っぽい。
……見たこと、ある。
あとから入ってきた毛深い中年男と簡単にストレッチをして、二人でコートに入った。
ハイクリアの打ち合い。
中年男が力でコート一杯に打ち込む。
が、そいつは、しなやかな全身を使って打ち返す。小柄なくせに力負けしていない。
中年男が左右に揺さぶり始める。
「あいつ」はコートの右に左に、最低の歩数で動き、瞬時に戻る。
シャトルは必ず真ん中に、仁王立ちの男のポジションに返す。
練習試合。
ビシビシ、スマッシュが決まる「あいつ」。なのに無表情。
失敗しても、無表情だ。
和樹、想定外の見えないシャトルに……、心がぶち抜かれる。
結局、この日、練習が終ると、「あいつ」と中年男はさっさと帰っていき、一度も話しかけるスキがなかった。
帰りの車の中、聡子が、
「気にしてたでしょ? 塚田碧ちゃんのこと。うちの学校よ、知ってるでしょ」
……知らなかった。
「塚田さんのね」
聞いてないのに勝手に話す聡子。でも耳に全神経が集中する、俺って……。
「お父さんの方だけどね。駅前のほら、喫茶店『ばおばぶ』のマスター。あそこのパンプキンプリンがおいしいの」
……それは、どうでもいいから。
塚田碧。なぜか心にこびりついた名前。
名前とともに、無駄のない脚の筋肉と、無駄のない動きを思い出す。
無駄のない表情も……。
……うちの学校か。
不純な動機で、和樹の不登校は40日でピリオドを打った。
クラス中が、復帰した和樹に、無関心だった。
ある程度、予想はしていた。
真面目なやつは、和樹の方から避けていた。だから奴らが無視するのも当然だ。
が、不良からも見放された。
そのどちらにも属さないクラスメートが、必要なときだけ話しかけてきた。
このクラスにもハブの対象はいる。
積極的にいじめないものの、無視くらいはする。
和樹も、自分がそっちの側に回ったことを、感じた。
そのうち、必要なときにさえ話しかけられなくなる、ということだ。
「あいつ」が隣のクラスだとは知らなかった。
ポニーテールではなかった。短パンでもなかった。(当然だ)
教室移動のとき、生徒が和樹にぶつかってきた。その拍子に教科書を落とした。
絶対わざとだ。
そう思うと授業に出る気がうせた。超スローで歩き出す。
意識的に三組の、開いているドアの前でさらに歩く速度を落とした。もはや月面を歩くパントマイムである。
教師は板書していた。ざわついた雰囲気はどこも同じだ。
碧は窓際にいた。机に頬杖をつき、外を見ていた。
体育館で、カモシカのように逞しく見えた「あいつ」とは、違う雰囲気。
淋しげだ。
碧の後ろの席の女子が、クシャクシャにした紙を投げつけた。碧の頭に当たった。
紙の落ちた方に首をかしげる碧。
碧の前に座っていた女子が、素早くその紙を拾い上げる。
二人の女子が、まるで碧がそこに存在していないかのように、話しだす。
挟まれた碧は、また外を見る。
和樹は目をそらし、あわててその場から立ち去った。
顔は見えなかったが表情は分かった。
それは見てはいけないんだ。
木曜日の夜が「ダック立川」の練習日。
その日、聡子は町内会のほうを選んだ。
和樹は自転車で体育館へ向かった。
通い出して一ヶ月経った。
大学生のお兄さんたちと話すほうが、碧と話すより自然なのだ、だれが見たって。
だから大抵は大学生に混じってウォーミングアップをし、一通りのショット練習をする。
アドバイスをもらったり、練習試合に参加させてもらったり、結構充実はしていた。
和樹の心とは裏腹に……。
碧と許される唯一のコミュニケーションは練習のラリーだけ。
幸い中学生は和樹と碧しかいないから、練習に参加すれば必ず一度はラリーができる。
ところが、だ……。
和樹がコートに入り、碧が相手コートに入ると途端に、相手コートが300m先に見える。
しかも間に陽炎がたつ。
頭からは湯気が立つ。
湯気以外にも、もろもろ立ちそうだ。
スマッシュの練習。
碧の球が和樹の××を直撃する。……死ぬかと思った。
こうなれば、喫茶店『ばおばぶ』に行くしかない。
クラスが違う藤井は誘いやすかった。佐々木もついてきた。
中学生だし、コーラがベストチョイスと察する。
すると藤井が、男の食べ物の差別に異議を唱える。
でもさぁ、男だしプリンはちょっと、で論争していると……。
店のドアが開く。山小屋の鈴の音。
碧が学校から帰ってきたようだ。
和樹の心臓の鼓動が耳から外に漏れそうになる。
その心臓が凍りつく!
「店から入ってくんなっつってんだろっ!」とマスター兼塚田父が怒鳴る。
「裏、入れねえんだよっ!」と女子の怒鳴り返す声。
えっ、碧?
目をむく和樹。
その存在に気づいた碧が和樹らを一瞥して舌打ちする。
すると、これもまた舌打ちしながら奥に引っ込む塚田父。
「車のキー! 出せっ速くっ!」と怒鳴る父の声に、碧が、レジ下からとったキーをオーバーハンドで投げつける。
これが、素顔、なのか……。