強引男子にご用心!

まぁ、色々だよ。
色々。

色々……あって然るべきでしょ。


そんな事を考えて、総務部のドアを開けたら、


「あ。伊原さぁん。どこいってたんですかぁ!」

千里さんの声に顔を上げ、首を傾げる。

「何。何かあった?」

「受け付けに怒鳴り込んできたお客様がいてぇ」

「課長は?」

「課長と主任がお話伺いにむかってますぅ」

「じゃ、とりあえず客相に連絡しなくちゃ」

「きゃくそう?」

「お客様相談室!」

小走りに内線に向かいながら、頭は仕事モードに移行していく。

公私を分けるのが社会人の常。

分けられるようになったのは、一体いつの頃からだったろう。

自分の事ばかり考えてはいられないから、まわりに合わせるようで合わせていない私だけど。
それでも合わせて生きていく。


……私は、聞けない人間だけど。












そんなドタバタで、すっかり帰りが遅くなったわけで……


「で、何があった」

「…………」


何故、この寒いなか、人の部屋の前に立っているんだこの人は。

「こっちが聞きたいですよ。こんな夜遅くに、こんなところで何してるの」

「待ってた」

待ってた?

スマホを取り出して、時計を確認して眉をしかめる。

時刻は21時。


「風邪引くわよ」

「そんなもんは気合いで治す」

治るの、それって?

「とりあえず、どうぞ」

鍵を開けて、磯村さんを中に通すと、電気をつけてコートを脱ぐ。


……シャワーは、後だな。

ひんやりした空気の中、エアコンを入れた。


「お茶をいれますね」

コートを壁際のフックに掛けてから、キッチンに向かうと磯村さんもついてきた。

いや、カウンター式のキッチンなんだから、何もついて来なくても……


「…………」


先ずは泡石鹸で手を洗い、清潔なタオルで拭いてから、ヤカンに水を入れて火にかける。

それからティーポットを取り出して、茶葉の缶から適量を入れて……


いる間も、ピッタリ背後に立っている磯村さん。


「ああ、もう! 何なの! 貴方は背後霊ですか!」

振り返って怒ると、案外真面目な視線が返ってきた。


「抱いていい?」

「え……」

「じゃなくて、抱きしめていい?」

「え。あの。えっと……」

「抱くから」

腕を引かれて、肩に手を回され、そのままスッポリ磯村さんの腕の中に包まれる。

瞬間的に考えたのは“大丈夫”ということ。

身体に細菌やバイ菌や、果てはウィルスがついていても大丈夫。

まだ、増殖するほど気温は高くない。

高くないし、増えたら殺菌すればいいだけよ。


大丈夫。

そう考えると、磯村さんのコートの冷たさに瞬きして、ピッタリ合わさる胸と、腰に添えられた手に狼狽えた。


「い、磯村さ……」

「いいから」

あまり、よくない。

よくないんだけど、逃げようとするともっとガッチリ引き寄せられる。


「苦しい……」

「気持ち悪いんじゃなく?」

頷くと、少しだけ解かれる抱擁。


「待ってるなら待ってるで、どうして連絡しないの」

「そっちこそ、遅くなるなら遅くなるで、どうして連絡しなかった」

「待ってるなんて、夢にも思わないじゃない」

普段の磯村さんは、定時で上がるか少し残業してるかのどちらかで、本当に疲れていたら、夜遅くに『今日は寝る』というラインがきて終わる。

駅で会ったら、そのまま一緒に電車に乗り、ご飯食べてからそれぞれの部屋に帰るか……もしくはスーパーに寄って、どちらかの家でご飯作って食べるか。

よもや、マンションの廊下で待っているなんて、夢にも思わないから。
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