素顔のマリィ
「シートベルト、締めて」
わたしを助手席に乗せた常務は、緊張した面持ちで車を発信させた。
「運転手付とかじゃないんですね」
「そんな金は我が社にはないよ」
「この車は社用車ですか?」
「いや、自家用車だ。
社用者はバンなんでね。僕にはどうも運転し辛いんだ」
今わたし達が乗っているのは、国産だけどかなりグレードの高いセダン。
内装も革張りで、ハンドルは木製だ。
外側から見たら、黒塗りの普通の地味な車なんだけど。
「運転、お上手ですね。全然揺れません」
「この車はハイブリッドだからね。エンジン音も静かで、走りも柔らかい。僕の運転が上手いわけじゃないよ」
会話に詰まり、車窓に目を向けた。
外の音もほとんど聞こえない。なんだろ、多分この車が高性能なせいかもしれない。
流れる景色は見慣れたものだけど、音のしない空間に押しつぶされそうだ。
「音楽、なにかかけて良いですか?」
「音はつけないで」
きつい口調で否定されて、少し驚く。
「運転中は気が散るからね。安全運転に徹したいんだ」
前を見据える常務の顔は、とても厳しいものだった。