素顔のマリィ
いろいろ話すうちにわかったこと。
山下さんの自社出版物に関する知識は、半端なく広く深いということ。
わたしとの年齢差イコール社歴の経験が、そのまま蓄積されているわけだから当然と言えば当然だ。
特に『美術手帳』に関する造詣が深かった。
「入社3年目で配属されたのが『美術手帳』の編集部でな。
間5年ほど別部署にいたんだが、それ以外はずっと『美術手帳』一筋じゃ」
『美術手帳』のバックナンバーは今でも注文があるらしく、生き字引のような彼が重宝されているというがわかってきた。
山下さんのところには、よく図書館司書の方からの問い合わせの電話がかかってくる。
主には、昔雑誌で取り上げた画家についてだ。
『美術手帳』では、世相に合った新人の画家をよく取り上げて特集を組む。
先見の明がないとできないことだが、彼らが後に何らかの賞をとったりして評価を得ることで、その確かな目が証明されるのだ。
雑誌には初期の作品から有名になるまでの、画家の足取りが残される。
文字通りの"美術手帳"。
研究者にとっては貴重な資料だ。
「山下さんにとって、美術ってなんなんですか?」
わたしの不躾な問いにも、彼は真摯に答えをくれる。
「そうだな、心に響くもの、かな。
ワシの深いところで、何かが響くのさ。
除夜の鐘みたいに、ゴーン、ゴーンって響く時もあれば、ガラスの鐘みたいに済んだ響きの時もある」
わたしは、この販促課で山下さんと過ごす密な毎日に溺れていった。