マイ リトル イエロー [完]
「聡真さん、あの」
「ん?」
聡真さんが、ソファーに座って資料に目を通しながら、こっちも向かずに返事をした。
私は、それでもめげずに話しかけた。
「“cerisier”のオーナーの、西野さんのことなんだけど……」
「ああ、あの異様に顔の濃い店長か……暫く会ってないな」
「そうっ、でね、西野さんに頼まれたことがあってね」
彼の見慣れた背中を見ながら、途切れさせないように話を続けた。
「……うん」
「来週の火曜日、代官山で西野さんの」
「駄目だ」
しかし彼は、低い声で私の言葉をナイフみたいに鋭く遮った。
「……花菜は既婚者だって自覚がまだ足りないんだ。旦那以外の男と2人で遊んでいる所を、会社の人に見られたらどうするんだ」
もしかして、西野さんと2人きりで出かけると勘違いをしているのだろうか……私は直ぐに誤解を解くために口を開いた。
「……待って、そうじゃなくて」
「お前も俺の職場に仕事で関わっていたんだから、花菜のことを知ってる人は少なくないんだ。俺の体裁のことも少しは考えて行動してくれ」
誤解を解こうとした私の言葉を、彼はまたナイフのように鋭く遮った。
私は、何も言葉が出なくなってしまって、ただただ沈黙した。そんな私に念を押すように、彼が私の名前を口にした。
「……花菜」
……あ、お鍋、噴いてる。
火、止めなきゃ。はやく。
泣いてる場合じゃ、無いって、私。
こんなに熱くしたら、聡真さんは猫舌だから飲めないよ。いつも沸騰する1分半前で止めるようにしてるじゃない。聡真さんが着替えて、一通り資料に目を通して、やっと席に着いたときに、ちょうどいい温度になっているように。
カプレーゼもはやくテーブルに並べなきゃ。聡真さんが大好きなワインと凄く合うから。そういえば、まだグラスをアルコールで拭いてなかった。駄目だな、私。
本当、駄目だな……。
「うっ……」