マイ リトル イエロー [完]
今背後で嘉藤がどんな顔をしているか、振り返らなくとも分かる。
初めて見る俺の作り笑顔と慇懃な態度にドン引きしていることだろう。
くん、とスーツをやや引っ張られて、加藤にこそっと耳打ちされた。
「帰らなくていいの? 奥さんに21時までに帰るって約束したんでしょ?」
「これも仕事だから仕方ないだろ。理由話せば分かってくれるよ」
「本当に大丈夫なの? そんなんで……」
そんな風に言い合っていると、篠崎さんに“何かあったのか?”と声をかけられたので俺はまたスマイル全開で何もないです、とすぐに否定した。
「そちらの女性は久城君の奥さんかな?」
「いえ、断っじて違います」
「はは、そうなのか。そちらの女性も是非一緒にどうかな?」
「わあー、いいんですかー? ご一緒しちゃってー」
……お前も相当な作り笑顔だな。
俺は嘉藤と一緒に胡散臭い笑顔を貼り付けながら、篠崎さんと篠崎さんの同僚との会話を盛り上げた。
酒を飲んでいくうちに、花菜との約束の時間に間に合わない罪悪感も薄れていった。
最初はそんな俺と花菜のことを心配してくれていた嘉藤だが、彼女も酒が進むうちにハイになり、俺との写真まで撮りはじめた。
そんなこんなで、俺は結局21時30分まで飲むことになったのだ。
そんな自分の行動が原因で、こんな事態になるとは知らずに……。
* * *
「え、待て、お前久城だよな……?」
「佐久間、すまんが火くれないか……」
「お、おう……お前大丈夫かよ……干からびた茄子の漬物みてーだぞ」
花菜が家を出てから3日後、俺は正に灰色の毎日、とやらを送っていた。
屋上で遠い目をしながら煙草を吸っている所に同期が訪れ、俺の今の生気の無い瞳を見て驚いている。
「まだ嫁さん帰ってこねーの?」
「ああ……」
「どうせ200%お前が悪いんだからさっさと謝って迎えに行けよ。お前の立ち位置だと、バツついたら仕事相当やり辛くなんぞ」
「電話しても出ないし、メッセージも返信がこない」
「お前それやばいんじゃね?」
常に人をバカにしたような笑みを浮かべている佐久間が、とうとう本当にバカにしたように笑いやがった。
春の温かい日差しが惜しみなく注がれる屋上にいるのに、心は寒い。
女関係でいつもいざこざを起こしている佐久間にバカにされるとは、もう俺の存在価値は生ごみ以下なのでは……。