Grab
案内してくれたお兄さんにどうぞ、と言われて私は躊躇いを隠せないままに、その扉の取っ手に手を掛けた。
堂々と、落ち着いて、私は私…。
中に入ると、そこには接待用ソファに腰を掛けた女の人と、その向かいに座る男の人がいた。
女の人は大人という雰囲気を醸し出し、いかにも仕事のできそうな人だった。
男の人はというと、少し軽そうで伸びた髪を後ろでくくっていて、ちゃらんぽらんな感じだった。
「あなたがバイトの子?」
「はい、くお…」
「自己紹介は要らないわ。それにその手に持ってるものは何? 履歴書? この街に履歴書なんて物、全くもって意味がないわ。
呼ばれ名があれば、それだけでいいのよ」
いきなりの意味の分からない彼女の発言。
どうすればいいのか…。
「…………」
「カオリ、彼女困惑してるぞ」
「……面倒な子ね。採用された時、あなたはなんて呼ばれたいの?」
組んだ足の上に肘を置いて、手に顎を乗せ、片眉を上げる彼女。
それもまた魅力的で、綺麗だった。
「……ユエ」
ユエ、そう名乗ったのは…そう呼んでほしいと公言したのはあの日から初めてだ…。
「そう。ユエ、あなたは何故ここに?
他にもあったでしょ?」
「…一度この店に入店したことがあります。その時、お客さんに対する態度より、働く仲間に対する態度の方が暖かかった気がするんです。
そこで、お客さんよりもまずはお店の雰囲気作りが大切なんだと学んだんです」
彼女の目を見てそう言う。
すると、彼女は大声を張り上げて笑いだした。