僕と三課と冷徹な天使
ご機嫌ナナメ
コオさんの大きな目は、
明らかに細くなっていた。
口もへの字で「怒っています」と
額に書いてあるようだった。
そんなことは気にせず吉田さんは
「ごめんなー。
ちょっと話し込んじゃったわ~」
と軽く言って、
自分のデスクに座ってしまった。
僕はコオさんに向かって
「遅くなってすみません」
と一言謝って座った。
コオさんは何も言ってくれない。
「あ、あの、新しいこっちの
伝票の入力すればいいですか?」
僕は、何か言って欲しくて聞いた。
「もう今日中には終わらないだろうから、
何もしなくていいよ。
電話番だけしてて」
とコオさんは怒った顔のままで言った。
「は、はい・・・」
僕は激しく後悔した。
休憩しすぎなのはわかっていた。
言えなかったけど、
言わないといけなかった。
新入社員だけど、
社会人なんだから。
吉田さんのせいにはできない。
どんな腕時計を買うか考えて
気を紛らわせようと思ったが、
居たたまれない気持ちは消えなかった。
前の席のあっこさんがメモを渡してきた。
見ると
『よくあること♪気にしない(はぁと)』
と書かれていた。
気遣いは嬉しかったが、
それが逆に後悔を加速させた。
コオさんを怒らせて、
みんなに気を使わせて・・・
僕はいなくなりたい気分にだった。
そこに宮崎部長がやってきた。
「おつかれさーん。
どうだった~、灰田君。
大丈夫だった?」
いつも大丈夫じゃない時に聞かれる。
僕が答える前に
「大丈夫ですよ。
とっても慣れました」
とコオさんが冷ややかに言った。
ナイフで心臓を一突きされたように
息が止まりそうになった。
「あ、そう。
・・・コオ、なんか機嫌悪い?」
と部長が言った。
「いつも通りです」
とコオさんは機嫌が悪い顔のまま答える。
「まあ、そうかもね・・・」
と部長は軽く流して
「吉田、あれできた?」
とパソコンの前で
硬直している吉田さんに声をかけた。
多分頼まれていた書類ができていないのだろう。
部長のおかげで空気が軽くなった気がしたが、
僕の気持ちは暗いままだった。
仕事はないし、ここであと一時間も
じっと座っていなければならないと思うと、
自分を責めずにはいられない。
「灰田君、ちょっといい?」
と急に部長に言われてはっとした。
部長は僕を手招きして
三課の外に出ようとしている。
え、何?まさかクビ?と
不安になりながらついていった。
部長は小会議室に入って
「ちょっとそこ座って」と僕に言った。
僕はおずおずと座った。
「どうだった?三課。やっていけそう?」
と部長は座りながら言った。
どうやらクビじゃないみたいだ
と気づいた僕は、ほっとしながらも
どこまで話していいのか、
と言葉に詰まった。
部長は
「コオの前じゃ言いにくいだろ。
いいよ、正直に言って」
と僕の気持ちを汲んでくれた。
正直に、と僕は心の中で繰り返した。
「思ったよりもみんないい人で、
仕事も難しくないし、安心しました。
でも僕がダメなせいで
コオさんに迷惑をかけてしまって、
申し訳ないです」
言っていて泣きそうになった。
「そっか・・・コオは怖い?」
部長は心配そうに聞いた。
「いえ、コオさんは怖くないです。
ハッキリ言ってもらえるほうがいいんです。
でも僕が失敗してばかりで・・・」
また自分がイヤになってきた。
部長はちょっと微笑んで
「新人はミスするものだって、
みんなわかってる。
もちろんコオだってわかっているから
大丈夫だ。
でも不安にさせて悪かったな」
と言ってくれた。
僕はまた泣きそうになった。
「コオはな・・・もうちょっとなあ・・・。
・・・まあ、また何かあったら
遠慮なく言ってな」
と言って部長は微笑んだ。
「はい」
僕はすっかり安心感を
取り戻していた。
やっぱり総務部長はすごいなあ。
「あーよかったー。
三課はもうイヤだって言われたら
どうしようかと思った~」
と言いながら立ち上がり、
部長は廊下に出た。
あ、その手もあったのか、と僕は気づいたが、
三課以外でやっていけるわけがないか、
と思い直した。
「じゃ、五時までもうちょっとだから、
がんばってな」
と部長は総務部へ戻っていった。
三課のドアの前まで来ると、
みんなのワイワイと話す声が聞こえる。
それが、僕が部屋に入ると
一斉に静かになった。
何なんだろう?と思って
デスクに座ると、コオさんが
「五時まで、これをシュレッダーにかけてくれる?」
と一束の書類を渡しながら言った。
もう顔は怒っていなかった。
かわりに顔が赤い気がする。
伏し目がちで僕の顔も見ない。
「あのさ・・・」
まわりを気にしながら
僕に近づいてきた。
コオさんの膝が僕の足にぶつかる。
コオさんの香りだろうか、
ふわっといいにおいが漂う。
そして、
僕を見上げて、小声で言った。
「さっきは怒りすぎて、ごめんね」
ちょっと照れたような
恥ずかしそうな、
初めて見せる表情。
僕の視界から
コオさん以外のものが
なくなった。
コオさんは長いまつ毛を伏せて
「・・・じゃ、
シュレッダーよろしく」
と言いながら
デスクに戻って
パソコンに向かった。
僕は呆然とコオさんの
背中を見つめていた。
ハートが奪われるって
こういうことを言うのかな、
なんて思いながら。
コオさんの膝があたった
僕の足が熱い。
コオさんの香りは、もうないが
僕の心に染み込んで離れない。
・・・ふと、手に持った
書類の重さを感じる。
あ、書類、と気づき
「・・・シュレッダー行ってきます」
と言って、僕は立ち上がった。
・・・うん、コオさんはちょっと怖いほうがいいかも。
シュレッダーに向かいながら僕は思った。
明らかに細くなっていた。
口もへの字で「怒っています」と
額に書いてあるようだった。
そんなことは気にせず吉田さんは
「ごめんなー。
ちょっと話し込んじゃったわ~」
と軽く言って、
自分のデスクに座ってしまった。
僕はコオさんに向かって
「遅くなってすみません」
と一言謝って座った。
コオさんは何も言ってくれない。
「あ、あの、新しいこっちの
伝票の入力すればいいですか?」
僕は、何か言って欲しくて聞いた。
「もう今日中には終わらないだろうから、
何もしなくていいよ。
電話番だけしてて」
とコオさんは怒った顔のままで言った。
「は、はい・・・」
僕は激しく後悔した。
休憩しすぎなのはわかっていた。
言えなかったけど、
言わないといけなかった。
新入社員だけど、
社会人なんだから。
吉田さんのせいにはできない。
どんな腕時計を買うか考えて
気を紛らわせようと思ったが、
居たたまれない気持ちは消えなかった。
前の席のあっこさんがメモを渡してきた。
見ると
『よくあること♪気にしない(はぁと)』
と書かれていた。
気遣いは嬉しかったが、
それが逆に後悔を加速させた。
コオさんを怒らせて、
みんなに気を使わせて・・・
僕はいなくなりたい気分にだった。
そこに宮崎部長がやってきた。
「おつかれさーん。
どうだった~、灰田君。
大丈夫だった?」
いつも大丈夫じゃない時に聞かれる。
僕が答える前に
「大丈夫ですよ。
とっても慣れました」
とコオさんが冷ややかに言った。
ナイフで心臓を一突きされたように
息が止まりそうになった。
「あ、そう。
・・・コオ、なんか機嫌悪い?」
と部長が言った。
「いつも通りです」
とコオさんは機嫌が悪い顔のまま答える。
「まあ、そうかもね・・・」
と部長は軽く流して
「吉田、あれできた?」
とパソコンの前で
硬直している吉田さんに声をかけた。
多分頼まれていた書類ができていないのだろう。
部長のおかげで空気が軽くなった気がしたが、
僕の気持ちは暗いままだった。
仕事はないし、ここであと一時間も
じっと座っていなければならないと思うと、
自分を責めずにはいられない。
「灰田君、ちょっといい?」
と急に部長に言われてはっとした。
部長は僕を手招きして
三課の外に出ようとしている。
え、何?まさかクビ?と
不安になりながらついていった。
部長は小会議室に入って
「ちょっとそこ座って」と僕に言った。
僕はおずおずと座った。
「どうだった?三課。やっていけそう?」
と部長は座りながら言った。
どうやらクビじゃないみたいだ
と気づいた僕は、ほっとしながらも
どこまで話していいのか、
と言葉に詰まった。
部長は
「コオの前じゃ言いにくいだろ。
いいよ、正直に言って」
と僕の気持ちを汲んでくれた。
正直に、と僕は心の中で繰り返した。
「思ったよりもみんないい人で、
仕事も難しくないし、安心しました。
でも僕がダメなせいで
コオさんに迷惑をかけてしまって、
申し訳ないです」
言っていて泣きそうになった。
「そっか・・・コオは怖い?」
部長は心配そうに聞いた。
「いえ、コオさんは怖くないです。
ハッキリ言ってもらえるほうがいいんです。
でも僕が失敗してばかりで・・・」
また自分がイヤになってきた。
部長はちょっと微笑んで
「新人はミスするものだって、
みんなわかってる。
もちろんコオだってわかっているから
大丈夫だ。
でも不安にさせて悪かったな」
と言ってくれた。
僕はまた泣きそうになった。
「コオはな・・・もうちょっとなあ・・・。
・・・まあ、また何かあったら
遠慮なく言ってな」
と言って部長は微笑んだ。
「はい」
僕はすっかり安心感を
取り戻していた。
やっぱり総務部長はすごいなあ。
「あーよかったー。
三課はもうイヤだって言われたら
どうしようかと思った~」
と言いながら立ち上がり、
部長は廊下に出た。
あ、その手もあったのか、と僕は気づいたが、
三課以外でやっていけるわけがないか、
と思い直した。
「じゃ、五時までもうちょっとだから、
がんばってな」
と部長は総務部へ戻っていった。
三課のドアの前まで来ると、
みんなのワイワイと話す声が聞こえる。
それが、僕が部屋に入ると
一斉に静かになった。
何なんだろう?と思って
デスクに座ると、コオさんが
「五時まで、これをシュレッダーにかけてくれる?」
と一束の書類を渡しながら言った。
もう顔は怒っていなかった。
かわりに顔が赤い気がする。
伏し目がちで僕の顔も見ない。
「あのさ・・・」
まわりを気にしながら
僕に近づいてきた。
コオさんの膝が僕の足にぶつかる。
コオさんの香りだろうか、
ふわっといいにおいが漂う。
そして、
僕を見上げて、小声で言った。
「さっきは怒りすぎて、ごめんね」
ちょっと照れたような
恥ずかしそうな、
初めて見せる表情。
僕の視界から
コオさん以外のものが
なくなった。
コオさんは長いまつ毛を伏せて
「・・・じゃ、
シュレッダーよろしく」
と言いながら
デスクに戻って
パソコンに向かった。
僕は呆然とコオさんの
背中を見つめていた。
ハートが奪われるって
こういうことを言うのかな、
なんて思いながら。
コオさんの膝があたった
僕の足が熱い。
コオさんの香りは、もうないが
僕の心に染み込んで離れない。
・・・ふと、手に持った
書類の重さを感じる。
あ、書類、と気づき
「・・・シュレッダー行ってきます」
と言って、僕は立ち上がった。
・・・うん、コオさんはちょっと怖いほうがいいかも。
シュレッダーに向かいながら僕は思った。