砂糖漬け紳士の食べ方
「そうですよね、こんな出来の悪い編集者ですみませ……
えっ、取材、受けて下さるんですか?」
立ち上がり、腰を折る間際だった編集長が、体を前のめりに寄せる。
その脇に腕を抱えられたアキも、同じように伊達へ姿勢を前に向けた。
「ほっ、本当ですか!」アキが叫ぶ。
「はい。私でよければ」伊達がにっこりと笑んだ。
「ありがとうございます!私、頑張ります編集長!」
「馬鹿、そんなのは伊達先生に言え!」
「はは。いえ、いいんですよ私は」
「それではさっそく、インタビューの日程を決めさせて頂きます!」
「ああ…では私も自分のスケジュール表を持ってきますか、少しお待ち下さい」
伊達が再びリビングから姿を消した瞬間、二人の喜びようは最高潮に達した。
「お前!桜井!やったなあ!」
「編集長!伊達さん、優しいじゃないですか!どこがマスコミ嫌いなんですか!」
「知らん!だが結果オーライだな!次のボーナスは期待しとけ!」
これからの取材日程。
それを経て、月刊誌を飾る一面記事。
それを考えるだけで、今までの緊張感は充足感へと姿を変え、アキの心身を満たしていく。
タイトルは何にしようか、『密着!ミステリー画家・伊達圭介』なんてのもいいかもしれない。
そんな皮算用をしていると、再び伊達がリビングへ戻ってきた。やっぱりペタペタと裸足のままで。
「お待たせしました。
えーと、さっそくで悪いですが…明後日ですかね。その後はどうも予定がありまして」
「ええ、ええ、そうですか、いえ、こちらが先生に合わせますよ!」編集長の機嫌は最高潮だ。
「そうして頂けると助かります」
アキは編集長と共に、今後の取材日程を練り上げていく。
考えれば考えるほど、この『面接』さえ乗り越えてしまえば、こんなに私が得する仕事はないんじゃないか、と彼女は省みる。
何しろ、ずっと憧れていた画家に取材出来て
マンションもゴミ屋敷じゃなくて
しかもベールに包まれていた素顔は端正な顔立ちで
そんでもって、思っていた以上に紳士的な人だ。
きっとこの話を綾子にしたら、指をくわえて羨ましがるだろう。
アキは既に笑顔を堪え切れなかった。
それほどに緊張が緊張を呼んでいたというのもあるのだが…。
1時間で打ち合わせはあっさりと終了出来た。
アキが今まで長期取材を担当したどんな画家や文化人よりも、伊達とはずっとスムーズに話は進んだ。
ソファから上げる腰は、来た時よりも何倍も軽く感じる。
「それでは先生、次からはこの桜井が先生宅へお邪魔しますので」
「よろしくお願い致します」
「ああ、よろしくね」
アキは編集長と二人、思い切り腰を曲げ、笑顔を交わし、編集長が「ではまたご連絡します」と玄関から一歩外へ出た。
「お気をつけて…」
伊達圭介の柔らかな一言が背後から被さる。
アキはもう一度『憧れの画家』を目に焼き付けようと、笑顔のまま玄関口へ振り向いた。
しかし彼女の表情は、一瞬で色を失う。
伊達が玄関ドアを閉める一瞬。
彼が自分の家へ戻る、その振り返りざま。
先程の伊達の柔らかい笑みは、またたく間に消え去っていた。
まるで、玩具に興味を失った子供のように。
それはまさしく、アキがここに来る前にイメージしていた『マスコミ嫌い』『人嫌い』そのものの…。
───パタ、ン。
玄関ドアは静かな音を立て、外界を遮断した。
「………………」
編集長がアキに気づき、振り返る。
「どうした、桜井。帰るぞ」
「…はい」
帰り際、アキはふと編集長に問う。
「あの、編集長。お聞きしたいんですが」
「んー?どうした」
「…その、伊達さんといつお会いしたんですか?」
改札を通り、地下鉄に乗り込んだところで編集長が口を割った。
「そうだなー…日展受賞後かな。何で?」
「…いえ、ちょっと気になって…」
考え込み始めたアキをよそに、編集長はご機嫌よろしく、快活に言う。
「あー、でも良かったよ。前に会った時はそれこそ無愛想だったんだけどな。
人嫌いっていうの?そういうのは治ったみたいだな!」
いえ、編集長。
多分、現在も絶賛『人嫌い』ですよ、伊達さんは…。
アキは口に出そうな言葉を飲みこんだが、また違う鉛をお腹へ入れたようだった。