砂糖漬け紳士の食べ方
《3》 紳士か否か、それが問題だ
『あの伊達圭介の取材許可を取った』。
このニュースが、瞬く間に編集部内に広がったのは言うまでもない。
編集部に戻ってから一番初めにアキの肩を叩いたのは、同期の中野だった。
「やったなあ、桜井!」
その大声の祝砲を皮切りに、アキは編集部員数人から手荒い祝福を受けたのだが
伊達から「取材をお受けします」の一言を聞いた時のアキの高揚感は、今やもう一欠片も残っていなかった。
彼の部屋を出る瞬間に見た、あの、人当たりの良い笑顔が呆気なく色を失う過程をまるまる見たのが明らかな原因だ。
……見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。
アキは一人背筋をざわつかせる。
「やりましたね先輩!一体どうやって面接に合格したんですか!」
席に座るなり、後輩の綾子にそう聞かれて思い返してみたが、綾子の好奇心に応えられるような『完璧な感想』を口にしたわけでもない。
瞬く間にアキの脳に曇り空が広がっていった。
「…逆に私が聞きたい…何で合格したんだろう……」
アキが返す調子は、独占取材許可をもぎ取って帰ってきた編集者にしては暗すぎるトーンだった。
気付いた綾子が首を傾げる。
「何でそう落ち込んでるんですかー、これからじゃないですかぁ」
「…」
「はい、先輩。少ないですが私からお祝いです」
机にそっと乗せられるクッキーを尻目に、アキはそのまま机に顔を伏せた。
しかし綾子はどうしても好奇心が抑えられず、アキに寄り添い、矢継ぎ早に質問を繰り出し始める。
「…伊達圭介の家、ゴミ屋敷だったんですかぁ?」
「ううん、超高級マンション」
「えー?じゃあ、噂通りすっごいブサイクだったとか?」
「…普通に顔立ちは良い方」
「何でそんなに落ち込んでるんですか。取材の度にイケメン画家と会えるなんて、羨ましいですよぉ」
綾子のもっともな答えに、アキはそのまま口を噤んだ。
マスコミ嫌い、人嫌いと噂される伊達圭介の面接に合格したのは、まさしく彼の気まぐれだったのではないか。
それか、おのぼりさんのような田舎臭い女編集者のあげ足を取って、それを編集部に言いつけるんじゃないか。
きっとそうだ、
じゃなかったら、人嫌いの人間がわざわざ気を遣って、マスコミの私達へあんな紳士的に接してくれる訳がない。
綾子からクッキーを1枚もらっても、中野に祝砲として頭を小突かれても、不安はもくもくと広がるばかりだった。
そんな彼女の首のうなだれに気付かない編集長は、今やご機嫌に鼻歌を歌いながら爪切りをしていた。
どこかで聞いたことのある昭和歌謡のハミングは、アキの耳をするり通り抜けていく。
「この記事を乗せたら、軽く2千部は増刷だろうなぁ!」と、自分の前を歩く社員皆に言っているのは、どうも浮かれすぎじゃないかと彼女は眉をしかめる。
「あーっと、桜井ー。ちょーっとこっち来てくれる?」
机から離れるアキの体も、もはやダルイという表現の他なかった。
彼女は暗い表情そのままに、編集長の前へ立つ。
「何でしょう、編集長…」
「まーたお前不細工面してるぞ。落ち込む必要なんかないだろうが」
「記事は最初の予定通り、伊達圭介のインタビューと製作時の話、それと製作経緯な」
パチン、と爪を切る音が会話の隙間を埋めていく。
「…長期、ですよね」
「あー。うん、そうなるなぁ。当初は1カ月で仕上げてもらうつもりだったけど、予定変更。
桜井が納得いくまで取材してもらっていいから」
パチン。
「えっ」
アキが声をあげた。
伊達圭介の家へ訪問してきた時、たしか取材スケジュールは1カ月先までしか打ち合わせしていなかった。
…てっきり、一か月で取材を終えるのかとばかり…
彼女は心の中でぼやく。
「あの、でも…」
「んー?みすみす大物の素材を活かさない訳にはいかないだろ」
アキは閉口した。
編集長の先見の明は、まさしく月刊誌を抱える編集の長として当たり前だ。
アキは大きく息を吐き出した。
グチグチ言っても記事が完成するものでもない。
仕事。これは、仕事なんだ。仕方ない、だって仕事なんだもの…。
「…分かりました、編集長」
「精一杯、務めさせて頂きます」
覚悟が、決まった。
あの似非紳士に、何があっても迎え撃とう、と。