砂糖漬け紳士の食べ方
リビングに、テレビの音も音楽も、隣人の生活音もないことに、アキはいよいよ恨み始めた。
もしここにテレビがあったら、その内容をとっかかりに話を展開出来るし
音楽でも流れていれば「お好きなんですか?ジャズ」なんて、当たり障りのない事柄で心理的な距離を詰められるのに…。
「君、タバコは?」
伊達が、自分の胸ポケットを片手で探りながらポツリ言った。
「いえ、…吸いません」とアキが答えるのと同時、彼がポケットから取り出したのはタバコ箱だった。
「一本いいかな」
伊達はアキを見ないままに、今度はポケットのライターを探し始める。
「ええ、どうぞどうぞ」
アキがそう言うなり、彼が立ち上がった。
何をするのかと思えば、リビング奥のベランダへ出て行く。
非喫煙者がいる為に、室内ではなく外で吸うつもりなのだと彼女は即座に気付いた。
「あの!私は大丈夫なので、中で吸って下さい」
そう、何せ晴れているとは言え、季節は冬だ。
タバコを吸う数分だけとは言っても、防寒をしない、…しかもそんなくたびれたトレーナー一枚だけでは…。
しかし、声に振り返った伊達は何も言わないまま、やっぱりそのまま無言でベランダへ出て行ってしまった。
行く途中、本棚上にあった灰皿を掴んで。
「………」
アキはベランダに出た伊達の後ろ姿をガラス越しに見たまま、どうも落ち着かない気分を噛み締めた。
ベランダの彼は手慣れた様子でタバコを出し、口に咥える。
しばらくすると、紫煙が一つ、ふわりとベランダから空へたなびき、うっすらと彼へまとわりつき始め…。
「…甘党なのに、タバコを吸うんだ……変な人」
彼女は再びソファに座り込んだ。
そしてまた大きく紅茶を一口啜り、カップを厳かにソーサーへ置く。
さて。
試練はここからである。
ここへは、お茶会をしに来た訳ではない。画家を取材するためだ。
しかも『人嫌いと言いながら、あんな稚拙な感想を言った自分を採用した、掴みどころのない画家』の地雷を決して決して、決して踏まないように。
数分の喫煙ののち、伊達がベランダから戻った。
リビングに彼が入ると同時に、冬の清潔な寒さが足元へ忍び込んできた。
ふわり。
アキの鼻をくすぐったのは、甘ったるいバニラの匂い。
「…それではさっそく、先生、取材の件ですが」
座るなり取材を直撃してきたアキの唐突な切り出しに、伊達は飲もうとしたマグを途中まで上げ、ちらと視線をあげた。
「私たち編集部の意向としまして、まずは伊達先生の普段の…」
彼女は持参してきたバッグから書類を取り出そうとしたが、「ねえ」という彼の一声で手を止めた。
「その『先生』っていうのは止めてくれないかい」
「え?…ですが」
「別に私は、そんな敬称されるような人間でもないから」
そうは、言っても…。
バッグに手を突っ込んだまま、アキは目の前の伊達に苦笑いをした。
といっても伊達はただ何も表情を変えない。笑いもしない。怒りもしない。
「えー…と、それでは、敬称は無し、ということでよろしいでしょうか」
「…まあ、それ以外だったら何でも」
「………」
やりづらい!
面倒くさい!
何だこの人!
アキは、腹からこみ上がった不安を咳払い一つでごまかした。
ここでひとつ、笑ってくれたりでもすれば、ずっと楽に話を広げられるのに。