砂糖漬け紳士の食べ方
「ええーと…それでは…なんでしたっけ…あ、取材の具体的な内容に関してですが」
ようやくアキは、自分のバッグから資料を取り出した。徹夜で仕上げたレジュメだ。
彼女は、木製のテーブルいっぱいにレジュメ数枚を広げ、指差し、彼の視線を追いながら説明を始める。
「…伊達、さん、…には、まず今までの画家人生についてインタビューさせていただきます」
ちらと伊達を盗み見る。
彼はレジュメの文字に集中していた。
アキが「伊達さん」と新しく呼び名を変えたことには気分を損ねていないらしい。
今のところ。
「その後、実際の制作現場についてお話を伺いたく思っております」
「……」
「それで、もし可能でしたら、伊達さんが実際に絵を描く経緯も拝見させていただきたいんです。
そうしますと、大体半年の長期取材になるかと」
伊達は表情を変えないまま。
けれど一瞬、その切れ長の目をゆっくりとすがめた。
「…ひとつ、いいかい」
アキがレジュメから視線をあげた。
「はい、何でしょう」
「私はもう、油絵を描いていないんだ。だから君が今言った『制作経緯』は協力できない」
微かな沈黙が流れた。
確かに彼が申告するとおり、アキが以前に目を通してきた雑誌はもろもろ同じことを書きたてていた。
『スランプか?!伊達圭介が筆を折った理由』
『期待の重圧に押しつぶされたか─若き天才画家の苦悩』など、など、など。
その大半は、天才と持ち上げられた人間の落ちぶれざまを見たい、という悪質な好奇心のほかならなかったのだが。
「………」
沈黙ののち、伊達がもう一度紅茶を啜った。
今の飄々とした顔からは、雑誌が昔こぞって書き争ったような『スランプ』とか『期待に押し潰された』とか、そういう理由の端は感じられない。
アキの咳払いがリビングに響いた。
「あの…それでは現在、制作は行っていないということですか」
「あー、…うん、そんなものかな。
イラストとかデザインの受注で食ってるようなものだね」
ズズッ。
紅茶を啜る音がもうひとつ響いたところで、アキは自分の盲点に気づく。
…しまった。
伊達が受注していたらしい「イラスト」や「デザイン」は、全くの未把握だ。
ブラウス裏の背筋に、汗が一つタラリ落ちた。
面接で『ずっとファンだった』と豪語した人間が、その憧れの人の現在の活動内容を知らない。
揚げ足を取られたら、何も言い返すことが出来ないだろう。
しかし伊達はそこに何の興味を持たないまま、特に言及せず、代わりに一つの本音を空間に落とした。
「受注だけだったら、そう人と話す必要がないから」と。
彼の言葉は、実にあっけらかんとリビングに浮かんで、そしてパチンと消え去っていった。
音が極力少ない空間であったため、それは余計だった。
そう人と話す必要がない──
それは、この部屋のどこにも引っかかることが無いだろう、さらりとした言い方だった。
何の悪びれも、後悔も、鬱陶しさもない、まるでドライな。
…裏を返すなら、この人は、必要以外に他人とは接したくないということだろうか。
なら何故、私の取材許可を下ろしたのだろう?
アキはバッグからペンを取ろうとして、止めた。
本人の前でいちいちメモをするという失礼なことは、どうにもやる気が起きなかった。
それよりも今、アキの心からじわり沸き上がるのは
彼への、人間的な好奇心だった。