砂糖漬け紳士の食べ方
彼女は、これを失言、…とは思わなかった。
『暇潰し』なら、それはそれで良いと思えた。だって、こっちだって仕事なんだ。
彼女の訝しげな視線の先、伊達はほんの少し唇を歪め、そしてゆっくりと答えた。
「…さあ。何でだと思う?」
ご丁寧に、今日初めての『笑顔』をまじえながら。
質問を質問で返されたことに、アキはその日問い詰めることを諦める。
そもそも彼は理由を私に教える気がないのだ、と。
「…いえ、愚問で失礼致しました」
「そうだね。どうせなら建設的な話をしよう」
それからアキは、伊達に一辺倒のことを取材の名目として聞いた。
画家を志した理由。きっかけ。それまでの学歴…。
それらは、今まで他の雑誌に書かれていた内容とほぼ同じであったが
伊達もまた、既に刊行されている内容以上のことは答えなかった。
それが彼の故意なのか否かは、分からない。
一時間の取材ののち、アキは引き上げる準備を始めた。
元々の約束は午前中いっぱいだった。
午前11時。妥当な時間帯だ。
「それでは伊達さん。お昼になってしまいますので、今日はこの辺で失礼させていただきます」
「ああ」
「次回は、予定どおり一週間後ということでお願いいたします」
バッグを抱え、立ち上がり、腰を深々と折り、玄関へと足を向けた。
慣れたパンプスを履いて玄関ドアを開けると、鬱屈していた伊達の部屋とはまるで違い、陽はぺっかりと明るく真上にあがっていた。
「それでは失礼致します」
言って、アキは玄関ドアを閉めようとノブに手を添える。
が、
「…ああ、ちょっと待って」
閉めようとした扉の隙間が、再び伊達の手でこじ開けられる。
彼の骨々しい手が、アキの胸元へ伸びた。
驚いて、自分へ向かってくるままの彼の手を見降ろす。
「……ほこり、ついてる」
言われて、アキは、伊達が自分の服から小さな糸くずを取り去ったのを知った。
「あ、…ありがとうございます…」
顔を上げる。
視線が、伊達にぶつかる。
今までで一番近い距離、と言ったら、そうなのかもしれない。
アキの鼻を掠めたのは甘苦いバニラの匂い。
伊達が先ほど吸っていた煙草のものに違いなかった。
「…それでは失礼します」
アキは再び、深く頭を下げた。
謝辞の意味、というよりも、目の前の伊達をこの近い距離で正面から見ずに済むように。
彼女の思惑どおり、アキの頭が深く下がっているうちに、玄関ドアはパタリと静かに閉まっていた。
あの初対面時のように、玄関を閉める間際の彼を、アキは見ようとはしなかった。
彼が先ほど触れた自分の肩を見降ろし、確認し、そのまま勢いよくエレベーターロビーへと向かう。
しかし編集部に戻っても、一瞬だけ鼻を掠めたバニラの甘ったるい匂いは、いつまでもアキの鼻孔に残っていた。