砂糖漬け紳士の食べ方

今回の『伊達圭介甘いもの懐柔作戦』の攻撃武器は、カステラだ。


購入したのは、昔からの有名なお店で。

さすがに桐箱に入った高級カステラは、ふわふわでふわふわな黄色い肌をしている。



彼女はカステラの桐箱をキッチンに持ち込み、適度な大きさに切ってリビングに持ってきた。


しかし何故か、妙に伊達の視線を感じる。彼は皿に乗ったカステラを凝視していた。



「伊達さん、カステラお嫌いでしたか?」


アキの心配に、彼は「いや、好きだよ」と肩をすくめた。



「…君、これも並んで買ったのかい」

「え?はい」



フォークを並べていると、伊達がなぜか更に眉をしかめる。


そして「さあ食べましょう」と彼女が口を開く前に、彼が言ったセリフは予想外なものだった。




「今度は、私が用意するから」


彼が使う銀色のフォークがカステラの側面を削る。
それを見ていたアキが、視線を伊達へと上げた。



「え?…何をですか」

「お菓子。私への差し入れくらいで、君にそう無理もさせられないだろう」




そんなことありませんよ、と答えかけたアキの口が閉じる。

伊達の目の前で倒れた人間が言っても、何の説得力もない。


言う代わりに、カステラを小さく口に運んだ。


舌の上でほどけるように甘く、卵のコクも感じられる。

さすがの逸品だ。


それは伊達も同じように思ったらしい。

会話の隙間を埋めるために食べた一口の、次の一口が明らかに大きくなっている。




「お口に合いますか」


アキが思わず笑って言った。



「…これ、どこのお店のかな」

「高円寺です。駅から結構歩くんですが…あ、ネット配達もしているそうですよ」



ふうん、と伊達が興味を持っていないようにサラリとぼやいた。



けれどまた、カステラを大きく一口。

もう彼の皿に乗せた分は無くなりそうだ。




『伊達圭介甘いもの懐柔作戦』は今日になってようやく日の目を見たらしい。


確かな手ごたえを感じつつ食べるカステラは、それはもうアキにとって美味しいオヤツになった。


彼女がちまちまとカステラを食べていると「桜井さん、知ってる?」と伊達がふいに会話の端を乱暴に突っ込んだ。


アキが顔を上げる。彼は、アキの皿にまだ残っているカステラを指差した。




「…底の、ざらめの部分があるだろう?」


深い茶色をしたカステラの底には、白いザラメがきらきらと宝石のように微かに光っている。



「これ、わざわざザラメを敷いている訳ではないんだよ。カステラ液を型に流し込んで、焼く時に、底に沈んでいった分なんだ」


「え、そうなんですか!へえー。豆知識ですね!」

「カステラが好きすぎて狂っているような老人を、懐柔する時に使うといいかもしれない」




なんですかそれ、といよいよ口を押さえて笑った。

考えてみれば、これが伊達と初めての談笑だった。




彼女は内心ガッツポーズをしたのは言うまでもない。


甘いものってすごい、すごいよカステラ様!




笑顔を作りつつも、けれど視界の端には、この談笑の場にはふさわしくないモノがどうしても彼女の目に映りこんだ。


先ほど伊達自身がめちゃめちゃに切り裂いた『贋作』だ。



目の前の伊達は、いつのまにかカステラをもう一切れ皿に乗せて食べている。

隣に、300万円あまりを使って自分で回収したニセモノを置きながら。




「………」



フォークを咥えながら、アキはそれを見ないフリのまま再び笑顔を作った。

舌に乗せたフォークは冷たくて、どことなく金属の苦い味がする。





彼女はふいに、先日インタビューに立ち会ったばかりの日本画家を思い起こした。

もし自分の贋作が世間に高額で取引されていたら、あの小河原ならどう行動するだろうか。



…虚栄心はそこそこにある画家だ。

きっと大声で騒いで、わめき、マスコミをうまく利用して、贋作を作った業者を告訴するだろう。
いやもしかしたら炎上商法を…。




相も変わらず、伊達はいつもと同じくしゃくしゃの黒髪をしている。

最初こそ「もしかしてパーマをかけてるのかな?」と思いこそすれ
こう何度も顔を合わせ、彼の適当な普段の服を見ていると、ただ単に、髪をセットしていないだけだと気付いた。


今日は、顔合わせ初日に見たのと同じくたくたのワイシャツ。
しかしやはり寒いのは、それにベージュ色のセーターを重ね着している。

ジーンズも同じまま。…いや、もしかしたら同じのを何着も持っているのかも…。




アキの視線は、今度は伊達の指へと移った。


スラリとしていながらも、やはり男の人で、その節々は際立っている。

大きな手の甲も血管が浮き出ていて…。



「…なに?」


伊達の低い声がアキの妄想をパチンと打ち消した。慌てて愛想笑いを顔に張り付ける。



「あ、いえ、…その」


彼の視線が、返される。


空気の妙なこわばりに惑わされ、とっさに口にした言葉は

「伊達さんって、普段外出されないんですか」…という、やもすればお見合い時に交わされるような質問だった。



「外出?」


少しの間を置くことなく、伊達は「必要がないから極力していない」と答えた。



「…まあ、気分転換に書店に行ったりするくらいかな」

「はあ、そうですか…」


確かにリビングの小さな本棚には、美術関係ばかりではなく、文庫本や国内外の作家の全集などが背を向けていた。



そしてまた彼女は、会話に困る。

談笑出来たといっても、そこはそれで、伊達と会話が弾んでいる訳ではない。


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