砂糖漬け紳士の食べ方
アキは編集部へ息巻いて戻ってくるなり、編集長の机へ直行した。
そのただならぬ勢いに、何事かと編集長はコーヒーをむせこんだが、構わずに彼女は『伊達が筆を折った理由』を説明した。
日展受賞後、大量の贋作が出回ったこと。
その贋作が伊達の意に反して高額に取引されていること。
そして出回っている贋作を回収し、伊達自身が処分していること。
これらは全て憶測である、という前置きで始まった説明だったが
伊達が自分の贋作を処分している場面をアキが見たことで、編集長はその憶測に確信をもった。
「なるほどねぇ…」
一通り説明を終えると、編集長がそれらしく腕組みをし、同情のため息を漏らす。
「贋作か。そこまで考えが及ばなかったな」
「はい…私も確認していなかったので、時間を見て、伊達さんの贋作がどの様に出回っていたか調べてみようと思うんですが」
編集長がマグでコーヒーを啜る。
そしてしばらく眉をしかめていたかと思うと、目の前に立つアキを見上げて言った。
「お前、でかしたよ」
「…はい?何がですか」
「あの気難しい伊達圭介から、筆を折った理由を聞き出せたじゃないか」
聞き出せた?
アキの眉が、咄嗟にピクリとこわばった。
…聞き出せたというより、いろいろと至らない若手編集者に伊達さんがみかねて…という表現の方が正しいのかもしれない。
そう、例えるなら
自分よりはるかに年下の子が泣いてるから、慰めに甘いキャンディーをあげるような…。
なぜか今の自分の思考に、アキ自分自身がほんの少しの引っかかりを覚える。
しかしそれは、本当にほんのちょっぴり、心の表面にひっかき傷を残すくらいの…。
「うんうん、俺の見る目は間違ってなかった」
一方で編集長は自画自賛で満足そうに頷いていたが、彼女は苦笑いするしかなかった。
いや、ともかくも、編集長に『伊達圭介が筆を折った理由』を話したのは目的のためだ。
それはもちろん、『制作現場の取材』を取りやめてもらい、代わりに別企画を提案すること。
繊細な理由こそあれば、今まで「伊達圭介に絵を描いてもらえ」とごり押ししてきた編集長も説得できるだろう。
アキは身を乗り出し、言った。
「それでですね編集長、伊達さんに絵を描いてもらう件ですが」
「ん?ああ」
「こういう理由がある以上、絵の制作は───」
「だよなぁ。
そういう理由があるんじゃ、まだ若手の桜井じゃ伊達大先生には言いずらいだろう。
俺から言っておくよ」
しかし懇願は、編集長の新手の一手にあっけなくねじ伏せられた。
「え、あの」
「そうだな、今度先生を接待でもしよう」
「ですが」
「編集部のキレイどころを集めるか。
そりゃあ先生も40近い独身男なら、そう悪い気はしないだろうしな」
「あ、あの、編集長」
「先生には俺からうまく言っておく」
「はい…あ、いえ、そうじゃなくて」
「あ、ちなみに接待する場合、お前も同伴だからな。
どうせだから、普段入れないようなうまーいモン食わしてやるよ。
何がいい?寿司か?」
伊達圭介攻略の道筋を見つけたことで、編集長はみるみる上機嫌になった。
次から次へと「接待」の案をアキへとぶつける。
「先生に、何かアレルギーあったっけ?」
「…特別聞いてませんが。甘いものは好きですよ」
「じゃあデザートが絶品なところがいいな。それとも手土産に持たせるのを別に買っておくか?」
編集長の勢いに、アキはとうとう会話の端を掴むことすらできなかった。
自分の予想していた道筋とは大きく離れてしまったことに、彼女がため息にもならない長い呼吸を吐き出したのは、編集長がアキの目の前で伊達に電話をし始めた時だった。