砂糖漬け紳士の食べ方
《6》 紳士との一夜
「…本当に、来るのかよ?伊達大先生は」
「分からない」
「何だそれ」
「え~?ここまでお店準備して、すっぽかされたら悲しいですよねぇ」
両隣を挟んで交わされる二人の会話に、身を切られる思いなのは他ならぬアキ本人だ。
伊達に対する接待場所として準備されたのは銀座の一等地。知る人ぞ知る割烹料亭、らしい。
その、一番奥。
いわゆる接待場所として多用されている8畳の和室に、彼女らはいた。
中野、アキ、そして綾子の三人は、編集長の独断と偏見による接待部隊に選ばれたわけである。
そこへ並べられたふかふかの座布団にきっちり正座して、伊達を待つ。
編集長はそのお迎えで、この寒空の下で料亭の玄関口に立っている。
靴下で滑ったら思い切り転ぶんじゃないか、というほどにツルツルした畳。
和室中央にデンと構える大きな木のテーブルは、節を見ると樹木をまるまる一本使った品物のようだ。
「でも私、こういうところ来たことないので勉強になりますー」
綾子は、接待であることをそう重く受け取らず、目の前に広がる高級な佇まいにはしゃぐ。
編集長も大分はりこんだな、と中野が続ける。
「まあ、最近は経理が厳しいから、なかなかこんな高い所で接待出来ないもんなぁ」
アキの『制作現場の取材の代わりに、別企画を提案する』という目論見は、
今や一周回って彼女の腹部にダイレクトアタックをかましていた。
…胃が痛い。
人とそう関わりたがらない伊達が、接待なんて受けるはずもない──
アキの熱心な主張すら、編集長には届かなかった。
代わりに「だーいじょぶ!俺がうまく話すから」と、やたら勢いよく親指を突き出すだけ。
胃が、痛い。
約束の時間に近づく度、まるで自分の胃を洗濯板でゴシゴシ洗うように、胃痛が激しくなっていく。
編集長の算段では、今夜8時からの接待をし、その後二次会として伊達を銀座のバーへ連れていく。
そのどちらかの店で、絵を1枚描いてもらうように話を持っていくとのことであったが…。
「…本当に来るのかな…伊達さん」
アキはぼやいた。これで今夜24回目のセリフだった。
編集長の目論見は、まず第一に『伊達が接待に顔を出す』という前提が無ければ何一つ成り立たない。
そう、まず初めに伊達がこのお店に来なければ始まらない。
あの「人と関わらなくて済むから」という理由でイラストの受注を受けていた伊達が
ここに
今、この時間にここへ来なければ、全ての計画はとん挫するのである!
「…ねえ、中野くん。胃薬持ってない?」
「は?何言ってんだよ。もう8時になるぞ」
「先輩、大丈夫ですか…?」綾子がアキの顔を覗き込む。
「だめ、吐きそう」
「吐くな、飲み込め!」
和室と廊下を隔てている障子戸が、アキの鼓動に同調するように揺れ始めた。
廊下を勢いよく歩く足音。
しかも、二人分。
「やあやあ、伊達先生!わざわざご足労申し訳ありません」
言いながら、勢いよくガラリと障子戸を開けたのは、にやけ顔の編集長と
伊達圭介だった。