砂糖漬け紳士の食べ方


「伊達さん、病院に行きましょうよ」


尤もなアキの申し出を、彼は決して受け入れなかった。



「いい」

「でも…」


伊達が歩道に吐き捨てたツバに、鮮血が混じる。



「口の中を切っただけだから」

「じゃあせめて警察に」

「面倒」

「…」



彼のマンションは、夜になるとより一層人気をひそめた。部屋の明かりはついているのに、まるで空虚のようだ。


病院に行かないなら、と彼女は、伊達の部屋に着くなり言った。



「伊達さん、救急箱はどちらですか」


その口火を切ったのは、伊達が玄関の明かりをつけると同時だ。




「…いいよ別に。大した傷じゃないから」

「どこですか、救急箱」


アキの勢いに負け、伊達は力なく寝室の方を指差した。



「寝室の、ベッド脇の棚一番下の引き出し」


言われ、彼女は曲がった鉄砲玉のように寝室へと向かい、救急箱を抱えてリビングへと戻る。


青白い電灯の下では、余計に伊達の唇の青黒さが分かった。

頬も幾分腫れているようだ。



「…唇も少し切っていますね」


救急箱の中からチューブを取り出す。軟膏薬だ。無いよりはましだろう。



「薬塗りますから、じっとしてて下さい」


血は既に止まり、固まっていたが、さすがに指でそこに触れると伊達は眉を思い切りしかめた。



「あと、頬も冷やした方がいいですね。ハンカチでもいいですか」


立ち上がろうとしたアキの手が、彼に掴まれる。



「私はもういい。君が座りなさい」


思ってもいない申し出に、彼女の思考は固まった。



「転んだんだろう?…ひざを見せてごらん」



立ちつくしたままのアキに、伊達の無言の圧力がかけられる。

座れ、と顎でソファを指された。



「…いえ、私は平気です」

「それともなにか、君は私の言うことを無視すると?」

「すいませんやっぱり座ります」


彼は埃まみれのチェスターコートを脱ぎもせず、彼女が座った高さに合わせ、ひざまずいた。



「とりあえず、ストッキングを脱いで」

「えっ!」


彼女の大げさな反応に、伊達がこれ見よがしなため息をついた。



「…でないと、消毒出来ないだろう」



確かにそうなのだが


この夜中、二人きりのマンションで

恋人でもない年上の男の目の前で素足を晒すことに、アキは羞恥を感じた。


< 47 / 121 >

この作品をシェア

pagetop