砂糖漬け紳士の食べ方
「伊達さん、病院に行きましょうよ」
尤もなアキの申し出を、彼は決して受け入れなかった。
「いい」
「でも…」
伊達が歩道に吐き捨てたツバに、鮮血が混じる。
「口の中を切っただけだから」
「じゃあせめて警察に」
「面倒」
「…」
彼のマンションは、夜になるとより一層人気をひそめた。部屋の明かりはついているのに、まるで空虚のようだ。
病院に行かないなら、と彼女は、伊達の部屋に着くなり言った。
「伊達さん、救急箱はどちらですか」
その口火を切ったのは、伊達が玄関の明かりをつけると同時だ。
「…いいよ別に。大した傷じゃないから」
「どこですか、救急箱」
アキの勢いに負け、伊達は力なく寝室の方を指差した。
「寝室の、ベッド脇の棚一番下の引き出し」
言われ、彼女は曲がった鉄砲玉のように寝室へと向かい、救急箱を抱えてリビングへと戻る。
青白い電灯の下では、余計に伊達の唇の青黒さが分かった。
頬も幾分腫れているようだ。
「…唇も少し切っていますね」
救急箱の中からチューブを取り出す。軟膏薬だ。無いよりはましだろう。
「薬塗りますから、じっとしてて下さい」
血は既に止まり、固まっていたが、さすがに指でそこに触れると伊達は眉を思い切りしかめた。
「あと、頬も冷やした方がいいですね。ハンカチでもいいですか」
立ち上がろうとしたアキの手が、彼に掴まれる。
「私はもういい。君が座りなさい」
思ってもいない申し出に、彼女の思考は固まった。
「転んだんだろう?…ひざを見せてごらん」
立ちつくしたままのアキに、伊達の無言の圧力がかけられる。
座れ、と顎でソファを指された。
「…いえ、私は平気です」
「それともなにか、君は私の言うことを無視すると?」
「すいませんやっぱり座ります」
彼は埃まみれのチェスターコートを脱ぎもせず、彼女が座った高さに合わせ、ひざまずいた。
「とりあえず、ストッキングを脱いで」
「えっ!」
彼女の大げさな反応に、伊達がこれ見よがしなため息をついた。
「…でないと、消毒出来ないだろう」
確かにそうなのだが
この夜中、二人きりのマンションで
恋人でもない年上の男の目の前で素足を晒すことに、アキは羞恥を感じた。