砂糖漬け紳士の食べ方
「桜井ー、ちょっといいか」
もやもやとした思考を、編集長の声が途切れさせた。
画集を閉じ、編集長の机へ行った途端、一枚のメモを渡される。
「…何ですか、これ。シャトーレ・キャロル…?」
書き走りのメモには、ご丁寧に店名だけでなく、「チョコレートタルトレット3つ」と品名まで書き込んであった。
「おつかい。他の部署の人間に聞いてみたら、何だか伊達大先生は、甘党らしいから」
「…はあ…そうですか…」
「なんだなんだ、気の無い返事だなぁ。明日には、お前の大好きな画家先生に会えるんだぞ?」
「そうですが…あちこち聞こえてくる噂が怖いですよ。
家がごみ屋敷だからマスコミを呼べない、とか、超絶ブサイクだからマスコミ嫌い、だとか」
「へー」
「へー、って…編集長はお会いしたことないんですか?」
「俺?んー、まあ、大先生が若い時に一度会ったことあるよ。噂は噂だ、あんまり信用するなよ」
「えっ、お会いになったんですか?」
「そ。だから今回も、顔見知りってことで面接許可が出た感じー」
「…じゃあ顔見知りついでに、取材許可もお願いして下さい」
「それはそれ。あれはあれ。だーいじょうぶだって。駄目だったら駄目で、別の画家先生にお願いするからさ」
走り書きのメモを見ながら、アキの心が曇る。
編集長が言ってきた「伊達圭介は甘党」なんて情報、面接を切り抜けることに何の役にも立たない。
もし編集長が「若い女だから、伊達圭介も少しは懐柔されるだろう」という考えで自分を指名してきたのならば
その効力はまったくもって期待できない。
だって、───。
視線は、メモ紙から自分の服へと滑り落ちた。
このワンピースだって、一昨年の福袋で買ったもので
仕事ばっかりの毎日に精いっぱいで、クマも吹き出物も酷いし、顔だって可愛いわけじゃない。
かといって、伊達圭介にうまいこと言えるかと言ったら、そういう自信もまるでない。
もし編集長が「そういう効果」を期待しているのなら、早いところ断った方がいいんじゃないか?
少なくとも、自分と違う人間が行けば、取材許可してもらえる可能性は上がるかもしれないんだ──。
「…どーした、桜井。腹でも痛いのか?」
「あの、編集長。本当に先生の面接を受けるのが私でよろしいんですか?
…その、なんというか、こう、もっと女性らしい人の方が…」
弱気な言葉は、そのまま言葉尻をか細くして消えていった。
2コンマの沈黙。
のち、編集長の長い溜息が机上に伸びていった。
「お前、伊達圭介のファンなんでしょ?」
「はい、それはもう、本当に」
「ならいいよ。それで」
その断とした編集長の返しに、彼女はやはり釈然としないままだった。
それを見ながら、編集長が手元にあるピスタチオを自身の口へ放り込む。
「…んー、なんていうか、分かるんだよな」
ボリボリ、と音を立てながら彼が言葉を続ける。
「あの先生には、お前みたいな人間じゃないとだめだっていう感じ」
「…私みたいな、っていうのがよく分かりません」
「と・に・か・く。明日の取材のためにチョコタルト買ってこい。業務命令ね」
「…分かりました、失礼します」
灰色の気持ちは、どんなフォローを受けても灰色のままだった。
アキは唇からとろけ出そうな不安を無理やり飲みこみ、一礼して編集長の机をあとにした。
中野がコーヒーを啜りながら、彼女を追っていることに気づかないまま。