砂糖漬け紳士の食べ方
《2》 わがままな面接
いよいよ『画家による面接』本番日。
アキの心情にはふさわしくなく、外は突き抜けるような青空だった。
「…桜井ぃ、いい加減その不細工面やめろって。唇突き出てんぞ」
「申し訳ありませんが編集長、私はこの顔で24年間生きているんです」
「そうじゃなくってさぁ、笑顔笑顔。『女の子は愛嬌』だって」
桜井アキは、紙箱の中に入っているチョコレートタルトを目の前の中年男の口に突っ込んでやろうかとまで思考を黒く鈍らせた。
それほどまでに目の前の編集長は、何が楽しいのか、編集部を出てからずっとヘラヘラと適当な世間話を続けている。
もしかして本当に、今日のことを軽く考えているのかもしれない…。
「愛嬌ですね分かりました前向きに検討させて頂きます」
「その日本人的な断り文句も止めろって。もうすぐ大先生のマンションなんだし」
編集長の言葉尻に、さらに彼女のお腹にある鉛が重さを増した。
編集部を出てから、一歩一歩、彼女の足取りが重くなっていく。
駅に入り、電車を乗り継ぎ、その「大先生のマンション」の最寄り駅に着き…。
吐き出せるものなら、吐き出したい。
これがアキ率直の願いだった。
「それよりお前、面接の準備大丈夫なのか」
はい、一応。
アキの言葉はその心情のまま、か細くか細く落ちていった。
あれから出来うる限りの問答を想定し、自分なりの感想を仕上げた。
新進気鋭と称された先生ですが…。
その独特の視点と、色の強い絵の具を使って表現する優しさ…。
他の誰にも描けないような絵を…。
幾度となく暗記をしたフレーズは、もはや今のアキにとっては呪文に近かった。
画家・伊達圭介を召喚するための魔法呪文…。
「オッケーオッケー。まあ、そんな緊張しない方がいいんじゃないの?はは」
けれど人の心理を逆なでするように、編集長はどんどんと道を進んでいくし
しかも結局、伊達圭介の面接に役立ちそうなアドバイスは何一つとして与えてくれなかった。
…もしくは「与えられなかった」というのが正しいのかもしれない。
閑静な住宅街にさしかかり、いよいよアキは前を歩く編集長に弱音をこぼし始める。
「へ、編集長、まさか噂どおり、伊達さんの家がゴミ屋敷とか…」
「ないない」
「ものすごーく陰険だとか」
「あー、それは人による」
「…すっごい意地悪だとか」
「それも人による」
「…結局なに一つ、私の不安解消にならないじゃないですか」
「ほい、到着ー」
アキの弱音は何一つ編集長に届かないまま、彼女は前にそびえたつマンションに気づいた。
首を上げる。
もっと首を上げる。
さらにもっと首を上げる。
ほとんど視界を90°上にして、ようやくマンションのてっぺんが視認できた。
高級マンションだ。
アキはさらにその「高級さ」に閉口する。
玄関はオートロックで、ロビーなんかにシャンデリアがあって、そんでもってどうせ毛のふさふさした犬とか飼ってるんだ…!
『伊達圭介の家はゴミ屋敷』という噂は、そのマンションエントランスで打ち消された。
シックな色遣いのエントランスは、言われなければどこかのホテルのような造りと間違えるほど。
少なくとも、こういうところに住む人間が散らかし放題にすることはない。多分。
編集長は手慣れた様子でエントランスに入り、手前に備え付けられたインターホンを眺める。
そして懐にしまってあったメモを取り出し、ボタンを押し始めた。
「えーっと、2504号室・・・2、5、0、4っと」
しばらく、機械の呼び出し音がエントランスに響く。
それと同時にアキの緊張感は頂点に達しようとしていた。
吐きそう、吐きそう、吐きそう…!
「へ、へ、編集長、私、やっぱり無理ですよ…!」
呼び出し音が、ぶつり途切れた。
『はい』
聞きなれない男性の一言がエントランスに響く。
そのたった一音が、彼女の背筋をピンと伸ばす。
「あー、お世話になってます。先日取材の件でご連絡しました、月刊キャンバニストの山本と申します」
アキの伸びた背筋は、極度の緊張のまま固まった。
『…今、開けます。どうぞ』
言葉尻と同時に、エントランスのさらに奥の木製扉のロックがガチャリと開いた。
「ほら行くぞ桜井」
この時のアキときたら
もう、手に持つ紙箱のタルトなんて気にかけられず、まるで行進するかのように大きく両手を振って扉の奥へ進んでいった。