砂糖漬け紳士の食べ方
伊達と対面して早々にメロンを手渡した時、彼の顔色は幾分良くなっていた。
「編集部から?…ふうん、それはどうも」
しかしながら、やっぱり着ているトレーナーは油絵具で汚れている。エプロンでもすればいいのに。
そんなことをぼんやり考えていると、伊達の視線はメロンではなく、じっとアキを見つめていた。
「な、何でしょう」
伊達の眉が、静かにひそめられる。そして、彼は自身の唇を力なく指差した。
「どうしたんだい、それ」
「えっ」
「…口紅」
いつもと色が違う、と彼が実にあっさりと言った。
作山以外気付かなかった口紅の変化に気付くのは、色彩に関することだからだろうか。
それとも観察眼が鋭いからだろうか。
「あ…いえ、ちょっとイメチェンです。大人っぽくしようと思って」
アキは苦々しく笑った。
ほんの少しだけ本音を含ませた言葉に、しかし彼はつまらなそうに「ふうん」と呟く。
「前の方がいいね。…君に合っていない」
それは、画家であるからこその色彩的なアドバイスだった。
おそらく肌の色とか、唇の皮膚の色とか、そういうものを総合的に判断した的確なもの。
しかしアキは、頭をガンと殴られたような衝撃を心に感じた。
今日ばかりつけてきたルージュは、前にここですれ違った女性編集者がつけていたものと似た色だったのだ。
合ってない。前の方がいい。
背伸びをしていたこと。
それよりも、それを「君には合わない」と言われたことに、急な気恥ずかしさを感じた。
作山に指摘された時より、ずっとずっと。泣きたくなるくらいに。
「す…すみません」
謝る理由など何一つないのに、アキは咄嗟に謝罪の言葉を口にした。
伊達の後ろで、ハンカチで必死に唇を拭ってみた。ハンカチはルージュですぐにべったりと汚れた。
「か、風邪は良くなりましたか」
作業部屋へ行く彼を追いながら、アキが取り繕うように言った。
チラリと、伊達の視線が彼女を振り返る。
「ああ。大分ね」
「それは良かったです。体は資本ですし」
それに、制作にも影響出ちゃいますもんね、と言いかけながら作業部屋に入ったアキは、唇を咄嗟に閉じた。
作業部屋の真ん中に置かれているキャンバスは、前回見た時とは明らかに違っていた。
というのも、前回はオレンジ色一色のみだったのだが、今回は一転して鮮やかな色調に変わっていたのだ。
「…あまり大きいキャンバスじゃないから」伊達が呟いた。
その謙遜ならざる謙遜にしては、それだって彼の制作の速さには目を見張るものがある。
もしかしてこの人、風邪が完全に治る前から、早々に制作を進めていたんじゃなかろうか。
アキは伊達を振り返った。
けれど彼から返ってくるのは、相変わらず感情の読めない、飄々とした表情だけだった。
前回、下塗りだけであったので何がモチーフなのか分からずじまいだった。
しかし今なら分かる。元来の彼のモチーフである、人間だ。
アキは、今回も持参してきたカメラを出しながら彼に聞く。
「伊達さん、今回の作品のテーマは?」
問いに、彼の視線は宙を泳ぐ。というより、彼女の質問を真剣に考えていないようだ。
「…テーマねえ……タイトルも、絵が出来た後に付けるからねえ…」
「じゃあ、この作品で伝えたいことは?」
それでも彼は、このフォローにも曖昧な返答しか口にしなかった。
「それは見る人に任せる」なんて、果たして模範解答なのか、それともただの回答放棄なのか分からない。
その答えに彼女はあからさまに眉をひそめたが、まあそこはそれ、編集長にはうまくぼやかして伝えればいい。
「今日も取材は30分ですよね。よろしくお願いします」
キャンバス前に座った伊達に、アキは頭を下げた。