砂糖漬け紳士の食べ方
知らせを受けたアキは一目散に伊達のマンションへ向かった。
「こんにちは、桜井です!」
玄関から弾けるように入ってきた彼女に、伊達はリビングを力なく指した。
どうやら、しばらく徹夜が続いていたらしい。今までになく汚いトレーナーは、油絵具があちこちを汚している。
「こんな感じで。よろしく」
テーブルの上に置かれたキャンバスは、まだ額縁も何もない粗末な状態であった。
今までの作品の中で確かに二周りほど小さいキャンバスサイズではあるが
しかし今までのものと似て非なる絵面は、サイズの小ささを補って余りあるほどだ。
オレンジの下塗りをところどころ活かしつつ、黒や赤など目に刺激的な絵具をたっぷり使っていた。
毒々しくも甘い色遣い。
伊達の絵は、ピカソの『泣く女』よろしく、涙をこぼしつつ笑顔をたたえる女性を表現していた。
その女性の隣には、守られるようにいる子供の存在がある。何か戦火で戦う女性を表したいのだろうか。
「伊達さん、完成おめでとうございます!」
アキからの盛大な一人拍手を受けつつ、伊達は一気に力が抜けたようにリビングのソファへ座りこんだ。
緊張が解けたのだろうか。
彼はソファの背もたれにグタリと首を預けながら「あー」とか「うー」とか、まるで意味の無いうめき声をあげている。
そんなことはおかまいなしで、アキは持参したバッグから1本の瓶を取り出した。
いつぞや、日本画家の小河原がアキ達に用意させた外国産の炭酸水だ。
結局あの後文句を言いながら、1本は綾子と共に飲んだのだが
残り1本は、伊達の絵が完成する今日という日に持ち込もうと考えていた。
「伊達さん。スミレの砂糖漬け、まだ残ってますか」
クマが出来ている彼の目が、パカリと開いた。
そして力ない指がキッチンの方を指す。アキはキッチンへ飛んで行った。
伊達があの夜、スミレの砂糖漬けを彼女に食べさせてから、彼女は何気なくインターネットでその菓子のお店を調べてみた。
それほどにスミレの砂糖漬けは、アキの舌と心に鮮烈な印象を残していた。
彼自身が用意したから、というのもあるが
何よりも、あの香水の華やかな香りをそのまま口に入れたような鮮烈な香り。色。箱も、箱を飾るイラストも、その全てがロマンチックだ。
アキはキッチンの戸棚に、あの夜と同じパッケージを発見した。
丸っこい箱に、紫のスミレの絵。砂糖漬けだ。
持参した『どこかの国の何とか池から汲んだ完全天然の炭酸水』をグラスに二つ注ぐ。
そしてそこに、鮮やかな紫色の砂糖漬けを二粒づつ。
スミレの砂糖漬けがゆっくりと炭酸水の海を沈み入った。
お店を検索している時に、インターネットでたまたま目にしたアレンジレシピだ。
「伊達さん、乾杯しましょう!」