砂糖漬け紳士の食べ方
アキは、スミレの砂糖漬けを入れた炭酸水を伊達に手渡した。
彼がゆらりと体を起こす。そして手渡された炭酸水の色に、眠たそうだった目が僅かに見開いた。
スミレの紫色が炭酸水に溶け出し、底はまるでワインのような芳醇な色に変わっている。
それはグラスの縁に上がっていくほど、透明なグラデーション。
「インターネットで見たんです。きれいでしょう?」
プチプチと弾ける炭酸の泡は、スミレの甘い香りを宙へ解き放つ。
リビングへと広がっていく香りの帯は、官能的だった。
グラスをくるくると回して見る伊達は、何やらこの飲み物に興味をそそられたようだ。
その様子に、アキは薄く笑った。
「伊達さんが絵を完成させた日には、ぜひこれで乾杯したいなって思ったんです」
薄紫色の鮮やかなグラデーションは、ワインやビールのそれより何倍もロマンチックな飲み物に思えたのだ。
「伊達さん、制作お疲れ様でした」
「ああ、どうも」
そして二人は、お互いの顔の前でグラスを軽くかち合わせた。
カチン、と教会の鐘にも似た軽い音が二人きりのリビングに響く。
微かな紫色の炭酸水を煽れば、そうジュースほど甘くはないものの、花の匂いが一気に口から鼻へ抜けていった。
スミレ色の炭酸水が喉を潤すのと同時、しみじみとした充足感がアキの手足まで行き渡る。
展覧会の結果はどうなろうとも、それでもこの場に立ち会えて良かった──
ずっとファンだった画家。その絵の制作を、初めから最後までこの目で見ることが出来た。
人生でこれほど貴重な機会がほかにあるだろうか。
「ごちそうさま」
伊達はあっけなくグラスを空にし、袖で口を拭った。
「悪いね、今日はもう休みたいんだ…ここしばらく、ろくに寝ていなかったから」
彼のかすれた言葉は、まさしく疲れそのものを体現していた。
アキも同じようにグラスを煽り、再びソファへ溶けるように体を預ける伊達に言った。
「作品の搬送はどうしますか」
彼の視線はしばらく、キャンバスとリビングの天井とを行ったり来たりする。
「…今までは、会場に直接持ち込んでたんだけど…今日はもう眠いから…」
それなら、と彼女はバッグからチラシを取り出した。
提出締め切りギリギリに作品を仕上げる彼に、こういうこともあろうかと編集部で下調べをしてきたのだ。
「伊達さん、それでしたら…この『美術品公募搬入サービス』なんていかがでしょうか。
大分お疲れですし、途中で事故に遭ったら大変ですから。明日の午前中に搬入出来れば充分です」
伊達の目だけが、テーブルに置かれたチラシへと移った。