砂糖漬け紳士の食べ方
《10》 砂糖漬け紳士の食べ方
桜井アキは、恋愛小説やドラマが嫌いだった。
絵や、文字や、映画のスクリーンに広がる『理想の恋愛』。
その中に登場する素敵な男性は、いつだって『可愛い女の子』を選んだからだ。
誰にも負けない才能があって
自分では気づかなかっただけで、本当はオシャレをするだけで見違えるように美しく
誰にも好かれるような優しい性格で、鈴を転がすような声で笑い
それでもって、守ってあげたいような儚げさもあって…。
『理想の男性』に選ばれる女の子は、いつだってそういう子ばかりだ。
幼い頃、男の子と一緒にサッカーや野球をやって遊んでいたような彼女にとって、そういう子はとても眩しい存在だった。
自分も大きくなれば、可愛らしい女の子に自動的に成長していくものだと思っていた。
しかし年齢を重ねるにつれ、それは明らかな妄信であることを、現実は容赦なく彼女に教える。
ある日突然、理想の王子様が自分を連れ去ってくれるのは
少なくとも、可愛い容姿と性格が備わっていなければならない。
漫画や小説で示されたこの法則は、無情にも現実でだって同じだった。
そしてまた「可愛い女の子には決してなれない」と分かってるからといって
「このままの私を愛して下さいよ」と他人へ自分を押しつけられるほど、自信があるわけでもない。
良く言えば、彼女は客観的に自分を分析できていて
悪く言えば、彼女は自分自身を諦めていた。
そういう思考の悪癖がガッチリとできあがっているアキに、帰りがけの伊達の言葉は意味深以外何ものでもなかった。
───『好きな女に優しくして、何が悪いの?』
愛の言葉にもとれるようなそのセリフは、けれど今まで彼女が避けてきた『理想の恋愛』には程遠い。
放課後の教室とか残業で残っている二人きりの会社とかではなくて
シチュエーションは、よりによって仕事で失敗したからと汚く泣いている場面。
そして言った張本人は笑顔だった訳でもなく、「何が悪いの?」と半ば逆ギレにも聞こえる声色だった。
伊達は、彼女の知る『理想の恋愛』とは似ても似つかない。
好意を少なからず抱いていた伊達に、どんな意味であっても『好き』と言われたことは、嬉しい。
嬉しいのだが、しかしそれでもアキは自分の足元ばかりを見ていた。
だって、14歳も年齢が離れている。
これが『可愛い女の子』だったら、伊達だって一人の女性として好きになってくれたかもしれないが
…その相手が、よりによって自分なのだ。
「私も好きなんです」なんて勝手に舞い上がったら
「私が言いたかったのはそういうことじゃないんだ」と困ったように笑われるかもしれない。
妹みたいな存在で『好き』なのかもしれないし
ファンの一人として『好き』なのかもしれないし
今まで出会った編集者の中では『好き』なのかもしれないし…。
「…あ、多分、それだ」
呟き、アキは一人で思索に無理やりケリをつけた。
それが果たして正解なのか間違いなのかも分からないが、そうでもしなければ、一人でグルグルと脳内で迷い込んで、この鬱々とした感情から抜け出せなくなってしまいそうだった。
──『理想の男性』に選ばれる女の子は、いつだって自分とは真逆な子ばかりなんだ。
アキは、机の上に置いていたシャンパンチェアを引き出しの中へ乱暴に突っ込み、閉める。
自分のあやふやな感情も、そこへ一緒に含ませて。