大切なものはつくらないって言っていたくせに
お店は、木曜日が定休日。

たまにではあるが、瀬田祐樹とフェルディノンと私3人で、遊びに出掛けるようになった。

きっかけは、フェルディノンの田舎のワインのお祭りに行こうとかそういう事だったと思う。

「行ったらフェルのゲイ友達と結託して襲われたら怖いから、お前もいっしょに行こう。」と真剣にお願いされたのがきっかけだった。

思いのほか、3人の珍道中はすっごく楽しくて、それから、定休日に3人で出かける事が多くなった。

お店が定休日だと、瀬田さんは別のレストランか簡単なテイクアウトで済ますと言っていて、私やフェルは勉強のために美味しいと評判のレストランに出かけたりするから、それなら一緒に行こうかという話になったりして、よく三人で食事に出かけたりもした。

観光地は日本人が多くて、なかなか瀬田佑樹1人で出かけることはままならない。
けれど、フェルディノンが一緒だと彼も背が高くてなかなか目立つ美しい青年なので、2人が並ぶと声さえもかけられないような雰囲気で、遠巻きにチラチラと見られたりするだけで済んだ。
挙句に私みたいな平凡な普通の年下の女の子がその2人の横にいると、一体あの3人はどういう関係なんだろう?と思われるみたいだった。

コロッセオの近くのピッツェリアで、3人でいつものようにイタリア語と英語、時々日本語の私の通訳を交えてめちゃくちゃな会話をしながら食事をしていた時、私がトイレに立つと待ち構えていた日本人の若い女の子の観光客に色々と問い詰められたことがある。

「あなたは、瀬田佑樹とどんな関係なんですか?」「あの隣のイケメンのイタリア人は誰ですか?」「よかったら写真撮らせてもらいたいんですが、ついでにサインも。」「瀬田さんは、なんで今イタリアにいるんですか?」「彼は観光で来ているのですか。」

何度か前にもそんな事があって、その度に、私は用意しておいた答えを言う。
「私たちは友人です。イタリア人と私は郊外のお店でシェフをしています。瀬田さんはお店のお客様でもあります。彼はオフでここに来ているから、できればそっとしてあげると嬉しいです。」
嘘は言っていないし、ちゃんと真摯にそう答えるとけっこうみんな素直に頷いてくれる。
たまにそうはいかない事もあったけど、瀬田さんは笑顔で写真やサインぐらいは応じると、みんな感激して直ぐに静かにその場を離れた。
そのくらい彼にはカリスマ的な何かがあった。


そんなローマでの生活も、映画の撮影が終わる2年間だけだった。
その後も、瀬田佑樹は、イタリアの住まいを引き払うわけでもなく、セカンドハウスとして、オフの時は何かとローマで過ごす事が多かった。

でもそれは、本当に一年のうちクリスマスや年末年始。その他にあと一回か二回数日滞在できる程度だったけれど。


それでも、私もフェルもお店のスタッフも、いつでも瀬田佑樹がここでリラックスできて楽しめるような彼のホームにしたいと思っていた。
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