大切なものはつくらないって言っていたくせに
瀬田さんの前で、仕事の愚痴や、弱音を吐いて、涙を流したおかげで、私はだいぶスッキリした。

私は、ゆっくりとお風呂に入る。
湯船につかりながらふと思う。
もしかしたら、私にはそんな話のできる身近な人は、瀬田さんしかいないのではないか。
ここにいる日本人のお友達や知り合いも少しはいるけれども、そんなにお互い自分の事を深く話し合ったりもしないし、当たり障りのない範囲でのお付き合いだ。
イタリア人や、他の国のお友達も、言葉の問題もあるけれども、あまりプライベートな事はよくわからない。毎日一緒にいる同僚のフェルは、ゲイという事もあって、女友達みたいにいろんなことを相談にのってもらったりはしているが。
瀬田さんは、どうなんだろう。
彼にも、抱えている大きなプレッシャーや役に向き合う孤独な作業がある事はわかる。
もし、唯一日本人の私があの店からいなくなったら、瀬田さんの素でいられる癒しのお気に入りのレストランではなくなるのだろうか?
いや、そんなの買い被り過ぎだ。 フェルもいるし、店の皆は、みんな瀬田さんの事が大好きで、大ファンなのだ。私がいなくなっても、みんなが彼を温かく迎えてくれる場所に違いない。
そして、この間、瀬田さんから突然キスされた事をふと思い出す。
あれは、いったい何だったのだろう。
 あの後、お互いは何もなかったようにしているけれど、あの時の瀬田さんの絶望したような悲しみと苦しみの眼の色が気になって仕方がない。


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