初恋
明るくてのんきな母だが、結婚相手の実家での生活は、
それなりに苦労であったらしい。
祖父も祖母も、60代半ばをすぎてまだまだ元気で、
特に店を譲ると決めてからはよけいにエネルギーがありあまっている様子だった。
掃除も、洗濯も、ごはんも、
やってくれるから楽といえば楽やねんけどなあ、と母がぼやくのを何度かきいた。
神戸にいるときは、家事をしてくれるお手伝いさんがほしいわ、などと言っていたが、
それが姑であるとなかなかに気が引けるらしかった。
とはいえ、祖母もさっぱりとした性格で、
ドラマで見るような、嫁いびりに精力を傾けるような人ではない。
わたしは何度か、
祖母と母がワイドショーを見ながら、
コメンテイターの悪口を散々に言い合っているのを見たことがあるから、
世間一般からすると、まあ嫁姑関係は良好な部類であったと思う。
店はやっぱり家とつながっている。
ただ、ひとつの建屋の中に店舗と家があるのではなく、
離れのように建てられた店と、家の間に廊下があるというものだ。
わたしたちが神戸で住んでいた家の3倍くらいの広さがあって、
あの頃のような窮屈さは感じることがなかった。
わたしははじめて自分の部屋をもらい、あこがれていたベッドも買ってもらった。
白いカラーボックスに人形やら鏡やらを並べてみると、
大人になったみたいでうれしかったのを覚えている。
学校にもすぐになじみ、友達もできた。
母も、猫をかぶったままおとなしく2年過ごしたが、
学校が春休みのある日、唐突に「神戸に行ってくるわ。」と言った。
父が、家出か?とびっくりしたくらい急だったそうだ。
事情はそんなに複雑ではない。
母は、こちらに来てからもたびたび向こうの近所の人たちと連絡をとっていた。
遊びにくれば、と何度か誘われて、断ったが、
ここらでひとつ、息抜きをしたいと思ったみたいだ。
それであれば特別反対する理由もない。
店は、いざとなれば祖父も手伝えるのだ。
中学校に入ってから野球を始めた兄は、
「部活があるから」という理由で神戸行きを断った。
そして、わたしは母と二人、朝焼けの中、田舎の駅の電車に乗り込んだ。
それなりに苦労であったらしい。
祖父も祖母も、60代半ばをすぎてまだまだ元気で、
特に店を譲ると決めてからはよけいにエネルギーがありあまっている様子だった。
掃除も、洗濯も、ごはんも、
やってくれるから楽といえば楽やねんけどなあ、と母がぼやくのを何度かきいた。
神戸にいるときは、家事をしてくれるお手伝いさんがほしいわ、などと言っていたが、
それが姑であるとなかなかに気が引けるらしかった。
とはいえ、祖母もさっぱりとした性格で、
ドラマで見るような、嫁いびりに精力を傾けるような人ではない。
わたしは何度か、
祖母と母がワイドショーを見ながら、
コメンテイターの悪口を散々に言い合っているのを見たことがあるから、
世間一般からすると、まあ嫁姑関係は良好な部類であったと思う。
店はやっぱり家とつながっている。
ただ、ひとつの建屋の中に店舗と家があるのではなく、
離れのように建てられた店と、家の間に廊下があるというものだ。
わたしたちが神戸で住んでいた家の3倍くらいの広さがあって、
あの頃のような窮屈さは感じることがなかった。
わたしははじめて自分の部屋をもらい、あこがれていたベッドも買ってもらった。
白いカラーボックスに人形やら鏡やらを並べてみると、
大人になったみたいでうれしかったのを覚えている。
学校にもすぐになじみ、友達もできた。
母も、猫をかぶったままおとなしく2年過ごしたが、
学校が春休みのある日、唐突に「神戸に行ってくるわ。」と言った。
父が、家出か?とびっくりしたくらい急だったそうだ。
事情はそんなに複雑ではない。
母は、こちらに来てからもたびたび向こうの近所の人たちと連絡をとっていた。
遊びにくれば、と何度か誘われて、断ったが、
ここらでひとつ、息抜きをしたいと思ったみたいだ。
それであれば特別反対する理由もない。
店は、いざとなれば祖父も手伝えるのだ。
中学校に入ってから野球を始めた兄は、
「部活があるから」という理由で神戸行きを断った。
そして、わたしは母と二人、朝焼けの中、田舎の駅の電車に乗り込んだ。