初恋
吉崎先生
吉崎章子さんは、22歳のときに最初の子どもを妊娠した。
相手は高校時代からの恋人で、結婚の約束もしている人だった。
彼はとても喜んでくれて、章子さんが卒業したらすぐに式をあげようと言った。
傍目には、それなりに幸せに見える状況だった。
が、章子さんにとっては不運な出来事でしかなかった。
長年の夢がかなって、教師として就職が決まっていたのに、
まさか一年目から産休を申し出ることはできないだろう。
夫になる人に、中絶したいと言って、二人で泣いたり、怒鳴りあったりしたけど、
結局はその命を消してしまうことはできなかった。
内定を辞退し、卒業論文をつわりと戦いながら仕上げ、
卒業すると同時に夫の実家で生活を始めた。
うちうちで行った式の写真が残っているけど、
新婦とその両親の浮かない顔がなんともいえない写真だ、とりゅうさんは言う。
夫の実家は長田の商店街で電気屋さんをしていた。
ゆくゆくは夫婦で店を継ぎたいと思っていた章子さんの夫は、
この成り行きをひそかに神様に感謝していた。
7月の始めに男の子が生まれて、隆司という名前をつけた。
元気でなあ、とにかくじっとしてない子だった、と後から祖母が語った。
この子がいなければ、なんて言ってた母親も、
生まれてしまえばかわいいばかりで、赤ん坊を中心に、
吉崎家は「一番平和だった」時期を送っていた。
2年して、章子さんはかつての夢にもう一度挑戦してみたいことを
夫に告げた。
平穏な日々が続いていたから、彼はいい顔をしなかった。
わざわざ働きに出んでも、何か欲しいものがあったら買ってやる。
そう言われても、章子さんが欲しいものは自分の仕事と、夫の実家から自由になれる時間だったから、話し合いはいつもうまくいかなかった。
まだ若いことやし、うちも元気やねんから、章子さんは好きなことをしなさい。
祖母がそう、若い嫁を援護した。
章子さんは猛然と勉強を開始し、
翌年の教員採用試験に合格した。
子どもは保育園に預けられることになり、毎朝、母と一緒に家を出る生活が始まった。
やがてりゅうさんが幼稚園にあがる頃、「気をつけていたはずなのに」、
弟か妹ができることになった。
相手は高校時代からの恋人で、結婚の約束もしている人だった。
彼はとても喜んでくれて、章子さんが卒業したらすぐに式をあげようと言った。
傍目には、それなりに幸せに見える状況だった。
が、章子さんにとっては不運な出来事でしかなかった。
長年の夢がかなって、教師として就職が決まっていたのに、
まさか一年目から産休を申し出ることはできないだろう。
夫になる人に、中絶したいと言って、二人で泣いたり、怒鳴りあったりしたけど、
結局はその命を消してしまうことはできなかった。
内定を辞退し、卒業論文をつわりと戦いながら仕上げ、
卒業すると同時に夫の実家で生活を始めた。
うちうちで行った式の写真が残っているけど、
新婦とその両親の浮かない顔がなんともいえない写真だ、とりゅうさんは言う。
夫の実家は長田の商店街で電気屋さんをしていた。
ゆくゆくは夫婦で店を継ぎたいと思っていた章子さんの夫は、
この成り行きをひそかに神様に感謝していた。
7月の始めに男の子が生まれて、隆司という名前をつけた。
元気でなあ、とにかくじっとしてない子だった、と後から祖母が語った。
この子がいなければ、なんて言ってた母親も、
生まれてしまえばかわいいばかりで、赤ん坊を中心に、
吉崎家は「一番平和だった」時期を送っていた。
2年して、章子さんはかつての夢にもう一度挑戦してみたいことを
夫に告げた。
平穏な日々が続いていたから、彼はいい顔をしなかった。
わざわざ働きに出んでも、何か欲しいものがあったら買ってやる。
そう言われても、章子さんが欲しいものは自分の仕事と、夫の実家から自由になれる時間だったから、話し合いはいつもうまくいかなかった。
まだ若いことやし、うちも元気やねんから、章子さんは好きなことをしなさい。
祖母がそう、若い嫁を援護した。
章子さんは猛然と勉強を開始し、
翌年の教員採用試験に合格した。
子どもは保育園に預けられることになり、毎朝、母と一緒に家を出る生活が始まった。
やがてりゅうさんが幼稚園にあがる頃、「気をつけていたはずなのに」、
弟か妹ができることになった。