センブンノサン[完]
「よう、おはよ」
ドサッと荷物を置いて、千堂君が私に挨拶をした。でもここですぐに気づいてしまったら、さっきの会話がふつうに聞こえていたかも、と思われてしまうかも……。
そう考えた私は、しばらく千堂君の声に気づかないふりをすることにした。
「玉野、おい、おはよう」
「あ、ああ、おはよう!」
「聞こえてない演技下手だなあ、お前。あとイヤホン機器から抜けてんぞ」
呆れたように溜息をつきながら千堂君が水で濡れた髪を拭いた。
慌ててつけたイヤホンは確かに機器に繋がっていなくて、それで聞こえないふりをしていた自分を客観視したら恥ずかしくて顔から火が出そうになった。
「別に気ぃ遣わんくてもいいのに。聞いてたんだろ? さっきの」
パーマのかかったアッシュブラウンの髪を拭い終えた千堂君は、扇情的な笑みを浮かべてそう言ってのけた。
私は赤面してることがバレないように、パッと顔を窓に向ける。
「あらあら、こんなことで動揺しちゃうなんて純情なんですねえ、玉野お嬢さんは」
「別に動揺してません」
「俺保健室の先生ともヤったよ」
「え!?」
驚き過ぎて思わず彼の方を振り向いてしまった。
すると、彼は口元を手で覆って、それから盛大に笑った。
「保健室の先生子供二人いるんだぞ。さすがの俺もそんな家庭壊すようなことはしないわ」
「なっ……」
「腹いてー、本当玉野はなんでも信じるんだな」
確かによく考えたら冗談だとすぐに分かることだった。
でもあんなタイミングで意味深な声で言われたら一瞬は動揺してしまうと思う。
笑い転げている千堂君を見たらますます羞恥心が膨らみ、かあっと顔が熱くなるのを感じたので俯いた。
「玉野、ごめんって」
一通り笑い終えた彼が、私の肩に手をおく。
「なあ、ごめんって、笑い過ぎたわ」
今口を開いたら、千堂君をひどく罵倒する言葉しか出てこなさそうだったので、私は口を結んでいた。