千年の時空を越えて
前にも島原の角屋という遊廓で暴れている。
芸妓はいたが、仲居さんがいなかった。
それを無礼だとして、店中の茶碗を割りまくり、7日間営業停止処分を出した。
壬生浪士組は活動資金が少なかった。よって、お金を借りに行くが豪商から無理やりお金を借りていた。
文久3年、8月12日。生糸の大和屋が、尊王攘夷派(天皇を尊崇し、これを奉じて外国人を打ち払えという考え)に多額の献金をしたのを聞いて、うちにも貸せといった。
「主人がいない」と断られ、蔵に火を放つ。そして、消火活動を邪魔し大惨事になった。
私は、その時、近藤さんに頼まれ、近藤組にいた。
街を守るはずの壬生浪士組が、横暴を働き、毎日のように揉め事がある。
そんな事もあり、近藤さん達が頑張っても、壬生浪士組の評判は地に落ちていた。
ここ、京都は市民や寺の意見が強かった。我慢の限界を超えた市民から苦情が出ていた。
そして、壬生浪士組を預かる京都守護職(会津藩)も嫌われていた。
そろそろ近藤さんらに命令でる頃かな・・・。