泡沫の少女
 翌日、春樹は今度は教会へと届け物をしていた。

 ばあちゃんいわく、薬草だそうだが、春樹にはただの雑草にしか見えない。

 ため息混じりに歩みを進める。
 
 重い教会の扉を開くと、老婆が出てきた。

「おうおう、春樹かい?」 

 目を細めて笑いかけられ、ぎょっとする。

「俺のこと知って…!?」

 老婆はもごもごと言う。

「…まったく。あたしゃ、あんたの名付け親だよ。」
 
「えぇ!?」

 そういえば、どこぞの教会で名前をもらったとかなんとか、前に聞いたような…?

「名前には力がある。自分の身を守る力だよ。だから、何年も会わなくたってわかるのさ。あぁ、この子は春樹だってね。」

 妙に感心しながら、薬草を渡す。

「…おうおう、ありがとう。…ん?」

 ふいに老婆がこちらを見上げた。

 じっとこちらを見られて居心地が悪くなる。

「…お前さん、あれに会ったのかい?」

『あれ』。

 みんな少女を物のように扱う。

「白い髪の子?会ったよ。」

「そうかい。どうだった?」

「綺麗な子だと思った。」

 一瞬の沈黙の後、老婆はもごもごと口を動かした。

「あれは確かに美しい。…だが、あれに触れてはならないよ。決して、ね。」

 決して。
 
 そこだけがなぜだか強く響いた。

 いや、老婆は確かにそこを強調した。

 まるで春樹だけでなく、他の誰かにも言い聞かせているように。

 どこか煮えきらない気持ちになりながらも、春樹は返事を返した。

「…うん。気をつけるよ。」
     *      *
 とは言ったものの、そこまで言われると逆に気になってしまうのが人の性というものであった。

 春樹はそっと屋敷に近寄った。
 
 門に近づき、そっとのぞき込む。

(あ…。)

 そこにはクリーム色っぽい髪の毛が揺れていた。

 慌てて顔を引っ込める。
 
 驚いた。
 
 こんなにも簡単に会えてしまうなんて。
 
 かぐや姫に惚れた男どもは、めちゃくちゃ苦労してたってのに。

 1人は死んでなかったっけ?

 春樹は苦笑しながら顔を上げ…。

「わぁぁぁあああ!?」

「きゃあ!?」

 そこには少女がいた。

 目の前に!

 後少しで鼻がぶつかるかと思った。

 桃色の瞳。

 思わず見とれてしまう。

「だ、誰!?」

「……え?ああ。春樹。」

 少女はポカンとしている。

「は…るき?」

「うん。春の樹って書いて春樹。」
 
 少女はしばし目を瞬かせていたが、やがてふわりと笑った。

「私は泡霞(ほうか)っていいます。泡の霞で泡霞です。」

「泡霞…。」

「はい?」

 律儀に応えられて慌ててしまう。

「あぁ、ごめん。なんてゆーか、いい名前だなって。」

「そんなこと…ないです。」

「…あのさ?さっきから敬語使ってくれてて申し訳ないんだけど…。泡霞って年いくつ?」

 と、泡霞が固まった。

 そして躊躇いがちに口を開いた。

「さ…三十五…?」

「…うん。ごめん、もう一回。」

「……三十五…歳です…。」

 春樹は冷や汗が背に伝うのを感じた。

「…マジ?」

「あっ、あっ!けど!こっちの世界で暮らしている時間を数えるなら十五歳です!」

 頬を紅潮させて訴える姿は、まるで白うさぎのようで愛くるしい。

 だが、思った以上に春樹は、三十五歳という事実にショックを受けていた。

「え…と、こっちの世界…とは?」

「ここのことです。」

「他にどんな世界があるんだ?」

「神様。」

 スパンっと言い切られて唖然とする。

 驚いた。

 吃驚(びっくり)した。

 だがその反面、興味があった。
 
 この理不尽で滑稽な世界とは別の世界があるのなら、それを知ってみたい。

 そう、素直に思った。

「…そっか。まぁ、とりあえず敬語はいいや。」

「…怖がらないの?」

「なんで?」

 我ながら間抜けな声が出た。

 内心焦りつつ、なにくわぬ顔をして泡霞を見る。

「…だってね…私、消えちゃうんだよ。十一年前、この姿で現れたの。二十年前と変わらぬ姿で。」
 
 泡霞は悲しそうに言った。

「なにもかも忘れて、向こうのことと名前しか覚えてなかった。幸い、婆様が私の名付け親だったから身元はわかったけど、どんどん色が薄くなるからお母さんもお父さんも逃げちゃった。」

 悲しみは感じられる。

 なのになぜだろう?

 この少女は泣かなかった。

 諦めさえ見えるその表情に、思わず胸を突かれていた。

「…あなたは、怖くないの?」

 春樹は優しく少女に微笑みかけた。

「…怖くないさ。」

 そっと視線を逸らした。

「…怖くない。」

 少女はうつむいた。

「…そう。……けど、もうここに来ちゃだめよ。私は忌み子なのだから。」

 来るよ、何度でも。

 口にはできなかった。
 
 ばあちゃんも嫌がるだろうな。

 けれど、俺はまた、この館に来てしまうのだろう。
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