「恋って、認めて。先生」

 私の質問と同時に、比奈守君は目の前にスッとハンドタオルを差し出す。それは、私の物だった。

「忘れ物、届けに来ました」
「ありがとう……」

 比奈守君の店で食事中、琉生がお茶をこぼしかけた。その時貸したのがこのハンドタオルだった。少し濡れてしまったのでカバンに入れずイスの隅で乾かすことにし、そのまま置きっ放しにしていた。

「すっかり忘れてたよ、ごめんね。明日でも良かったのに……」
「先生の声聞いてたら、顔見たくなって」
「比奈守君……」

 まっすぐな気持ちが嬉しいのに、私は彼の目を見れなかった。

「卒業したら忘れるって、先生言いましたよね。その通りだと思います。未来の気持ちは分かりません」

 誓えない未来。それを言葉にされるとひどく胸が痛む。なのに、比奈守君の表情は、麻酔みたいに私の痛みを包み込んでくれるようだった。

「今が続く先に未来があるなら、俺の気持ちはきっとずっと変わらない。そう思います」
「でも……。人の気持ちは変わるんだよ?」
「はい。何となく分かりますよ。先生の言いたいこと」

 深呼吸をし、比奈守君は言った。

「それでも、好きでいていいですか?」
「比奈守君……」
「大丈夫ですよ。この前も言いましたけど、俺、何も望んでませんから」

 軽く頭を下げ、比奈守君は来た道を戻っていく。

「忘れ物してくれてありがとうございました。おかげで先生に会う口実が出来たんで、良かったです。おやすみなさい」
「比奈守君…!」

 外へ出て、私は比奈守君を見送った。本当に、自転車で来てくれたんだ……。

 夜空に浮かぶ星がやけにはっきり見えた。

「今夜、寝れるかな?」

 胸も熱いし、刺激の連続で頭が冴え過ぎている。その後ベッドに寝転んで、眠気が訪れたのは朝になってからだった。


 結局その日はほとんど眠らずに学校へ行くことになった。今夜はちゃんと寝よう。


 それからも私の生活は穏やかで、これといって大きな変化が訪れることはなかった。

 学校で仕事をして、夜には自宅アパートで琉生や純菜と楽しく過ごす。比奈守君とも、毎日のようにラインで他愛ないやり取りをしていた。恋人でも友達でもない曖昧な関係。

 時々、比奈守君から電話がかかってくることもあったけど、もう、好きだと伝えられることはなかった。

『飛星(あすな)、いい加減結婚する気はないの?彼氏がいないなら、いい人紹介しようか?お父さんの会社に未婚で若い男の人がいるんだって!一回お見合いしてみない?』

 平穏な日々に波風を立てるかのように実家のお母さんから電話がかかってきたのは、5月の体育祭に向け忙しくしていた時だった。

< 53 / 233 >

この作品をシェア

pagetop