「恋って、認めて。先生」
私の受けた高校はどこも、食物科が設けられていた。なので、滑り止めで受けた食物科でも充分に学べたはずだった。私立と言うだけあって、設備も整い充実していたと思う。
それなのに私は、第一志望の公立高校に落ちたことに囚われ、三年間それを引きずってしまった。
「設備も環境も申し分なかった。だけど、私はどうしても第一志望の高校で調理の勉強をしたかった。高校見学の時、第一志望の高校では食物科のイベントも充実してたし、楽しく学べそうだと直感したから……。それが叶わなくて、自分は世界一不幸な人間のように思ったよ」
もし第一志望の高校に受かっていたら、私の人生違ったかもしれない。純菜と出会えたのは本当に嬉しかったけど、夢を叶える意欲は完全に無くなってしまい、高校へは単位を取るためだけに通っていた。何時間とかけて学んだはずの食物科での授業内容もほとんど思い出せない。
「そんな風に高校生活を過ごしてしまったことを、今は後悔してるんだ。与えられた環境で精一杯やっていたら、後悔は今より少なかったかもしれない。
教師になったのも、夢とか熱意とか立派なものがあったわけでもなく、ただ、安定した仕事に就けば後は自由にできるかなってだけで……。高校受験で失敗したショックで、全力で何かを目指すことに拒否反応が出てたんだよね。それでも、高校時代の後悔はいつも心にある。おかげで、この仕事を精一杯頑張りたいと思うようになった」
比奈守君が尋ねてきた。
「どうして頑張ろうと思えるんですか?本当になりたかったものじゃないのに」
「自分が決めたことだからだよ」
滑り止めの私立高校だって、他人に押し付けられたわけじゃない。他でもない私自身の選択だ。第一志望に絶対合格するという自信があっただけに、そのことが見えなくなっていた。
「今だから言えるけど、調理師は本当になりたいものじゃなかったんだよ。人の心って、不思議だよね」
言いつつ、私は苦笑する。
「夢とか自分に合うものって、頭で考えてるだけじゃ分からないものなのかも。実際やってみるまでは……」
「……そうですね」
深い瞳で、比奈守君は何かを考えている。
そんなつもりなかったけど、説教じみてたかな?どうしても比奈守君に話しておきたかった。自分で思う以上に、学生時代は短く貴重なものだという事をーー。
話していたら、三者面談に使える時間は残りわずかになってしまった。教室の壁にかかった時計を見上げ、私は謝る。
「本当に申し訳ありません。比奈守君のお話をしなくてはいけないのに私の話で時間を割いてしまって……」
「いいえ。貴重なお話が聞けて良かったです」
比奈守君のお母さんは焼肉屋での優しい微笑みを見せてくれた。ホッとする。
「……先生」
比奈守君は席を立ち、次の人を気にするかのように扉をいちべつした。
「考え直してみます。進路」
「本当!?」
「はい」
照れたようにはにかみ、比奈守君は教室を出て行く。お母さんはその後を追いかけようとし、私を振り返った。
「先生、今日は本当にありがとうございました。また、お店にもいらして下さいね。サービスしますから」
「……はい!喜んで……!」
幸せそうに笑うお母さんを見て、私はすごく嬉しくなった。教師になったこと、やっぱり間違いじゃなかった。
それに、比奈守君の心にも一歩近付けた気がする。なんて、調子に乗り過ぎかな?